侠客立ち
おとこだち
たった一夜の宿を貸し
一夜で亡くなるはずの名が
旅の博徒に助けられ
たった一夜の恩返し
五臓六腑を刻まれて
一歩も引かぬ〝侠客立ち〟
とうに命は枯れ果てて
されど倒れぬ〝侠客立ち〟
とうに命は枯れ果てて
男一代〝侠客(おとこ)立ち〟
花山弥吉
花山家は古来より豪農として知られていたが、江戸時代初期に存続の危機に立たされる。野武士に落ちぶれていた豊臣家残党のゴロツキ達がその財産を狙い一族を皆殺しにしようとたくらんだのである。大人たちは次々に殺され、遂には花山一族の跡取り息子である弥吉を残すのみとなってしまった。
ところが、その時偶然にも花山家に宿を借りていた旅の博徒は、弥吉を守るために彼を背負い、更に上から寺の鐘をかぶせてこれをしっかりと握りしめた。豊臣兵たちは博徒諸共に弥吉を殺さんと無抵抗の博徒に槍や刀を浴びせるが、博徒は微動だにせず弥吉を入れた鐘を背負い続けた。
そして朝が来て、豊臣兵たちはとうとう博徒が立ったまま絶命していることに気付く。
「こんな男が豊臣方にいれば、我々も盗賊に身を落とさなかっただろうに…」
敵ながらその壮絶な最期に感銘を受けた豊臣兵は弥吉を見逃し、そのまま逃走した。
たった一夜の関係に過ぎぬこの博徒は、氏素性の一切知れぬ身であり花山家との関係も「一晩宿を借りた」だけの間柄に過ぎなかったが、この博徒が居なければ花山家の御家断絶は間違いなかった。
この時博徒に救われた弥吉は大人になった後、その活躍を詩に記し、彼の勇姿を刺青の図柄として自身の背に彫り込んだ。以降、花山家では代々の当主がこの入れ墨を背中に彫ることがならわしとなり、詩と共に子々孫々に伝えたのである。
それが名前も知らぬ博徒への花山弥吉の感謝の気持ちであり、花山家ではこの”鐘を背負った博徒”を侠客(おとこ)の鑑として数百年にわたって後世に伝え続ける事になったのである。
『グラップラー刃牙』に登場するヤクザ、花山薫の背に入れられた入れ墨。
前述の通り先祖の弥吉を守り抜いた旅の博徒が鐘を背負う姿が描かれている。
花山組を文字通り背負うために組長就任に際し彫らせた代物だが、「斬られてねぇ侠客立ちなんざ侠客立ちじゃねェ」とのことで、花山が15歳の時にヤクザの事務所を襲撃し、自ら敵の兵隊に斬られることで巨大な傷跡を残している(ちなみに花山の顔の傷もこの時の負傷が元)。
後に最大トーナメント2回戦で愚地克巳に敗れた際にもそのマッハ突きを背で受け、仁王立ちで気絶するという「勝ちに匹敵するほどの負け」を得て、自らも侠客立ちを行うこととなる。
何故背中で受けたのか?それは花山薫が自分の体で一番信用していた箇所こそが、”侠客立ち”を入れた背中だったからである。