保科弥三郎(逃げ上手の若君)
ほしなやさぶろう
CV:稲田徹
単行本4巻26話で初登場。猫のような細長い髭が特徴的な人物。諏訪明神を信仰する武士で構成される「諏訪神党」の一員で、北信濃の川中島近辺を治める領主。
四宮左衛門太郎とは隣領の領主同士で戦友の間柄。
四宮曰く、頭に血が上ると止まらないが、冷静な時は仕事も出来る良い奴。
また、一対一の太刀打ちなら信濃屈指の使い手。
1334年に信濃国司である清原信濃守の圧政に抵抗し、勝ち目が無いと知りながら蜂起した。頭に血が上りやすい性格で討死を名誉と捉えており、撤退を説くため派遣されて来た北条時行たちの話も聞かず徹底抗戦を叫んで開戦する。
しかし、時行の体を張った主張や戦友四宮左衛門太郎の助言により冷静さを取り戻し、撤退を受け入れた。
撤退後は「死にたがり」を改め「生きたがり」となり、頼重及び時行のために奮戦するようになる。
1335年の中先代の乱において、北条方残党を擁立する諏訪氏や滋野氏に同調し北条氏知行地に属していた四宮左衛門太郎・関屋氏らと共に室町幕府の守護所を襲い、青沼合戦を引き起こして敗走した。そして足利方の守護小笠原貞宗や市河氏らの追撃を受けて、八幡河原、福井河原、四宮河原を転戦した。だが鎌倉において足利方が勢いを盛り返し、保科氏らは清滝城に篭城して抵抗したが攻略された。守護方は四宮氏を滅ぼして反転し、この後牧城へ向けて攻撃を加えている。その後の保科氏は諏訪氏らとともに南朝勢として活動している。
江戸時代に至り末裔である保科正光は江戸幕府二代将軍・徳川秀忠の四男である保科正之を養子にする。正之の子孫は会津松平家となり幕末に松平容保を輩出する。ちなみに現在の徳川宗家の当主である徳川恒孝氏は容保の実の曾孫である(容保自身は尾張藩の支藩である美濃高須藩出身だが水戸藩の血統である)。
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