出雲そば
いずもそば
信濃国松本藩(現在の長野県松本市)の城主だった松平直政が3代将軍徳川家光から出雲国松江藩(島根県松江市)への国替えを命じられた際、直政が松本からそば職人をともなって来たことが始まりとされている。
(この国替えを命じられた1638年(寛永15年)2月11日にちなみ松江市と隣接する出雲市のそば組合で結成した「出雲そばの日記念日登録実行委員会」が2022年に日本記念日協会に申請し、2月11日が『出雲そばの日』として登録されている。)
上記に加え、奥出雲地方(出雲国南部=現在の雲南市・奥出雲町など)において、寒さに強く収穫までが短い上、痩せ地でも栽培できる蕎麦の栽培が栄えたこと、江戸後期に当時は「高貴な人はそばを食べない」とされていたが名藩主として「不昧公(ふまいこう)」と呼ばれ親しまれている7代松江藩主の松平治郷が、お忍びで夜に屋台の蕎麦(いわゆる夜鷹そば)を食べに行くほどの蕎麦好きで茶懐石にそばを取り入れたことも影響してか蕎麦を食べることが広まっている。
昨今では西日本随一の蕎麦処として知られ、また大阪の蕎麦屋は出雲そばの影響を強く受けていたりする。
製法として、蕎麦粉を作るときに蕎麦の実を皮ごと石臼で挽くため、蕎麦の色は濃く黒く見え、香りが強いことが特徴。
また独特の食べ方として、重ねられる丸い漆器に茹でた蕎麦を盛って出される「割子そば」や、釜や鍋から茹でたそばをそば湯ごと器によそったものが提供され、客は自分で甘口のつゆ(割子そばと同様の濃い出し汁)を入れて濃度を調節し、青ねぎや海苔などの薬味をのせて食べる「釜揚げそば」がある。
いずれにしろ、つゆを盛りそばにぶっかけるというスタイルは出雲独自であるが、間違ってもざるそばでやらないように(受け皿がないので悲惨なことになる)。
桃太郎電鉄の出雲駅の物件はずっと1000万円の出雲そば屋しかないことを嘆かれているが、早めに買い占めできるようにわざとそうしているらしい(なら他の1000万円の物件も用意すればいいのに)。