ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

概要編集

南部に拠点を持つ勢力が北部へ攻撃することで、中国の歴史では何度か行われている。

もっとも、北部の勢力からすれば南部からの侵略とも取れる。

下記はその例である。


蜀漢編集

結果 失敗

蜀漢は後漢)の正当な後継王朝を称し、諸葛亮姜維が度々北部を領有する(曹魏)へ攻撃を仕掛けたが国力差その他の理由で失敗し、逆に魏の侵攻を受けて滅びる結果となった。


東晋編集

結果 失敗

上記の魏の後継政権であるも諸々あって北部領土を失い、南部に東晋として再興した。

当然、失われた北部領土を奪回しようと何度か攻撃するも失敗し、東晋王朝は家臣の劉裕に禅譲させられて滅亡した。


後周編集

結果 やや成功

五代十国時代終盤の後周の皇帝柴栄はの支配する国境北部の燕雲十六州を奪回(厳密には後周王朝の時代に奪われたわけではないのだが)しようと攻撃した。

十六州中、二州の占領に成功し、さらに侵攻するも柴栄は病死して後周軍は引き上げることになり、中途半端に終わってしまった。


編集

結果 やや成功?

明にとってモンゴルは仇敵であり、再三征服しようと戦争を繰り返した。

万里の長城以南の奪回には成功したものの、モンゴル高原の征服には失敗し、逆に皇帝が捕虜になるなどの大敗を喫することもあった。


太平天国編集

結果 失敗

の南部に建国した太平天国は北部も征服しようと攻撃するも英仏などの協力と各地の義勇軍(郷勇)を使った清の反撃で失敗し、太平天国自体も滅亡した。


中華民国編集

結果 成功

清が辛亥革命で滅亡すると中華民国を名乗る政府が複数成立し、その他にも軍閥の支配領域が各地に存在した。

このうち南京を拠点とする蒋介石率いる国民党政府が各地の軍閥や政府を征服し、中華民国を統一した。


関連項目編集

歴史

南北対立

大陸反攻:上記の後、台湾島周辺のみの支配勢力となった中華民国が計画した中国大陸を支配する中華人民共和国への攻撃計画。広い意味では北伐の一種。

関連記事

親記事

戦争 せんそう

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

pixivに投稿された小説 pixivで小説を見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 14989

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました