概要
吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ」(Gloriosa, Symphonic Poem for Band)とは、伊藤康英(いとう やすひで)の作曲による吹奏楽曲。
長崎県佐世保市にある海上自衛隊佐世保音楽隊の隊長兼指揮者であった岩下章二1等海尉からの委嘱(いしょく)を受けて1989年12月に作曲に着手し、翌年の1990年2月に全楽章が完成している。楽曲のグレードは5。
初演は、1990年2月16日に佐世保市民会館で行われた同音楽隊の定期演奏会で行われ、委嘱者である岩下章二隊長自身が指揮を振ったほか、龍笛奏者として岩亀裕子氏が招かれて独奏を披露している。また、吹奏楽版のほかに管弦楽(オーケストラ)版も存在し、こちらは京都市民管弦楽団の依頼により1999年に初演され、そののち改訂版が2008年にスイスのアールガウ交響楽団によって演奏されている。
フルスコアおよびパート譜は、1993年6月に株式会社音楽之友社から出版されているほか、2020年2月には本作の初演30周年を記念する形で同社からミニチュア・スコアが出版されている。
作曲者の伊藤康英は、海上自衛隊佐世保音楽隊から委嘱を受けた際に、同音楽隊の所在する長崎県を題材にして曲を作ることを考え、同県の歴史を探るなかで「潜伏キリシタン(隠れキリシタン)」の文化に出会っている。また、彼は潜伏キリシタンたちの篤(あつ)い信仰心と長く辛い弾圧の歴史から曲の着想を得るとともに、日本にキリスト教がもたらされた当時の西洋音楽がどのようにして我が国に受容されていったのかについても興味を覚えるようになっており、「日本と西洋の音楽がかつて出会っていたことへのファンタジー」を曲のエッセンスのひとつとして盛り込んだことを明かしている。
曲の題名である「ぐるりよざ」とは、グレゴリオ聖歌のひとつ『Gloriosa(グロリオサ)』が長崎の潜伏キリシタンたちのあいだで伝承されていくうちに転訛(てんか)したものである。
曲は全3楽章で構成されており、全曲通した場合の演奏時間はおよそ20分。それぞれの楽章は聖歌をテーマとしながらも、随所に龍笛の独奏や和太鼓のリズムをはじめとする「和」の要素を織り交ぜており、日本の民謡と西洋の聖歌とを見事な出来栄えのもとに融合させている。
そして、吹奏楽のサウンドを活かしたドラマティックな展開と和洋折衷のエキゾチシズム(異国の文物への憧れ)を強く押し出したこの作品は、作曲者である伊藤康英の代表作として知れ渡るのみならず、日本を代表する吹奏楽作品のひとつに数えられる形で世界中で高い評価を受けるようになっている。
曲の構成
第1楽章「祈り」(Oratio)
lontano, let ring sempre 2分音符=40 4分の7拍子
楽章の題名「Oratio」とは、ローマ・カトリック教会の典礼における「祈り」を意味する。この語は日本に伝わるうちに「オラショ」となまり、潜伏キリシタンたちが弾圧や迫害を受けるなかで密やかに語り継がれている。
また、曲はグレゴリオ聖歌風に歌われるマリア讃歌を基にしたシャコンヌ(反復と変奏)の形式をとっており、キリストの受難の象徴である「13」にちなんで13の変奏曲として構成されている。
チャイムとグロッケンシュピール、ヴィブラフォンによる鐘の音がはるか遠くから打ち鳴らされると、religioso(厳粛に)の指示のもとにトロンボーンとユーフォニアム、そして男声合唱(※合唱の指定はオプション)が「O gloriosa Domina(栄えある聖母よ)」とグレゴリオ聖歌を厳かに奏でる。このグレゴリオ聖歌のモチーフは金管アンサンブルやクラリネットをはじめとする木管楽器群など、さまざまなセクションによって歌い継がれていき、やがてチューバの加わった重厚なトゥッティへと発展する。
そのトゥッティが次第に減速して詰まっていくと、ホルンとトランペットによるAllegroの動機をきっかけとしてテンポが速まり、緊迫した3連符や16分音符の雰囲気のもとに急(せ)き立てられていく。
トランペットによる鮮烈な終止が消え去ると、それと入れ替わるようにしてオーボエやクラリネットによるテーマの反行形のコラールが現れる。穏やかに歌われるそのメロディの途上では、ミュートによって減音したトランペットが割り込んで強い主張を見せており、安寧(あんねい)のなかにあってなお怯えを隠せない潜伏キリシタンたちの姿を映し出している。
穏やかに流れていたコラールがトランペットの主張にかき消されるようにして消え入ると、音楽はそこからふたたび不穏さを伴いながら加速(♩=144)していき、激しさを増す打楽器の響きとともにヘテロフォニー(音程やリズムにずれを生じさせる様式)的な変奏へともつれ込んでいく。激しく引き裂かれ、阿鼻叫喚の様相を呈するようになった聖歌のモチーフは、その終わりに鮮烈なリズムと銅鑼の強烈な一撃を鳴らし、余韻とともにそれまでの流れを断ち切っている。
そして、あとに残された静寂のなかを、遠くから聞こえる鐘の音だけが変わることなく鳴り渡っていく。
第2楽章「唄」(Cantus)
Lento(♩=30 ca.) 4分の3拍子
この楽章は、潜伏キリシタンたちのあいだで歌い継がれてきた『さんじゅあん様のうた』を基にして、日本的な雰囲気と西洋の聖歌とを織り交ぜているのが特徴となっている。
第1楽章の余韻に導かれるようにして現れた龍笛(※ピッコロでも代用可)が、その鋭く自由な表現のもとに無伴奏の独奏を披露する。龍笛ただ一本だけだった静寂の世界に鈴や太鼓、クラリネットの静謐(せいひつ)な伴奏が加わると、龍笛の独奏はいつしか人々の歌う『さんじゅあん様のうた』へと変化していく。
鈴の音とティンパニの一打を契機として、この歌を新たにホルンが受け継ぐと、曲は転調して厚みを増し、さまざまな楽器がその都度メロディを模倣(もほう)しながら前へと進んでいく。「パライソ(天国)の寺にぞ 参ろうやなぁ」と救済を求める潜伏キリシタンたちの歌は、盛り上がりのクライマックスでstentando(苦渋するように重く)のトゥッティを聴かせていき、それを境として歌声は次第に消え去っていく。
楽章の最後では、わずかに残ったクラリネットとともに龍笛がふたたび独奏を歌い上げ、夢幻のような雰囲気に包まれるなか、魚板の冴(さ)えた一打によって覚醒する。
第3楽章「祭り」(Dies Festus)
Allegro(♩=144) 4分の3拍子 ~ Allegro moderato(♩=126~132) 4分の4拍子
この楽章は、長崎の民謡である『長崎ぶらぶら節』を主題に使用しており、これまでの楽章で出てきた「聖」の印象との対比として「俗」の要素を前面に押し出している。
第2楽章の夢幻のような雰囲気を打ち壊すリズミカルなトゥッティで幕を開けた曲は、『対馬蒙古太鼓』から着想を得たティンパニとタムの躍動のもとに気勢を盛り上げ、やがてトロンボーンによる『長崎ぶらぶら節』を基にしたテーマを景気よく演奏する。「長崎名物 はたあげ盆祭り」などと歌われるこのテーマは、クラリネットの合いの手やサックス・ホルンなどへの橋渡しを経ながら小気味よく進展していき、フォルテシモのベルトーンと鋭い8分音符の動機のもとに次の舞台へと移り変わっていく。
移り変わった先では、フルートをはじめとする木管高音群が清廉(せいれん)なアンサンブルを聴かせていき、その旋律のなかにグレゴリオ聖歌の登場を匂わせる。減衰した音楽はやがて金管楽器による敬虔(けいけん)なコラール(Moderato religioso)へと移行し、第1楽章の中盤をふたたび思い返す。これにフルートやホルンが加わると、音楽はトゥッティのまとまりのもとに厚みを増していき、天上から授かるかのような祝福のメロディを高らかに奏でていく。
ふたたび『長崎ぶらぶら節』の調子に戻った曲は、その盛り上がりの末にpiu stretto(徐々に緊張して)のフーガへと移行し、第1楽章に登場した聖歌の断片をはじめとする曲中のさまざまなモチーフが次々に重ねられていく。打楽器の決然とした刻みやトランペットの繰り返す訴え、ホルンの叫びなどが渾然(こんぜん)一体となって重なると、音楽はその果てにmaestoso(威厳に満ちて)によるグレゴリオ聖歌のクライマックスを堂々と奏でる。
聖歌の終わりとともにニ長調(D major)に転調した曲は、brillante(輝かしく)そのものの天上にいざなわんとする壮麗な響きのもとに歩みを進めていき、それに対してホルンらによる『さんじゅあん様のうた』のニ短調(D minor)の回想がせめぎ合いを見せる。そして、その拮抗(きっこう)の果てにニ長調が打ち勝って最後の一音を高らかに響き渡らせ、全曲を閉じる。
主な演奏団体(関連動画)
海上自衛隊佐世保音楽隊(JMSDF BAND, SASEBO)
東京佼成ウインドオーケストラ(Tokyo Kosei Wind Orchestra)
NHK交響楽団(NHK Symphony Orchestra)
ノーステキサス・ウインドシンフォニー(North Texas Wind Symphony)
シンガポール・フィルハーモニック・ウインドオーケストラ(Singapore Philharmonic Wind Orchestra)
アムステルダム音楽院シンフォニックウインズ(Symphonic Winds - Conservatorium van Amsterdam)
ウィッシュ・ウインドオーケストラ(WISH Wind Orchestra)
関連タグ
キリシタン 長崎県(長崎) キリスト教 信仰 聖歌 殉教(殉教者) 和洋折衷
外部リンク
- 伊藤康英 公式ホームページ
- ぐるりよざ - Wikipedia
- 伊藤康英 - Wikipedia
- 隠れキリシタン - Wikipedia
- オラショ - Wikipedia
- 長崎ぶらぶら節 - Wikipedia
参考文献
- 秋山紀夫『吹奏楽曲プログラム・ノート:秋山紀夫が選んだ689曲』 株式会社エイト社 2003年6月18日第1刷発行 254~255ページ
- 伊藤康英『OGT 310 吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ」』 株式会社音楽之友社 2020年2月29日初版発行 ISBN 978-4-27-648031-5
- 伊藤康英(解説)『吹奏楽作品 世界遺産 100 後世に受け継がれゆく不朽の名曲たち』 株式会社音楽之友社 2024年4月5日第1刷発行 130~131ページ