経歴
ポジションは外野手、左投左打。
小・中学は軟式野球をやっていたが、中学2年で股関節を負傷し野球競技を一旦断念。
高校は陸上部に入部し、走幅跳の選手となるが、1年の冬に退部。同校硬式野球部の部員数が少なかったことから、(高校生ながら)父の仕事仲間がかつて所属していた硬式クラブチームの『都幾川倶楽部硬式野球団』に混ざってプレー。2年目からは1番・中堅手として定着し、全日本クラブ選手権予選にも出場した。
高校卒業後は腕試しに独立リーグ・四国アイランドリーグplusとBCリーグのトライアウトを受験したところ、BCL(当時)の富山GRNサンダーバーズ監督の吉岡雄二の目に留まり、同球団に入団。左翼手のレギュラーとして定着し、俊足ながらも盗塁を苦手としていたが、吉岡が盗塁のサインをとにかく出して無理矢理走らさられる中で、徐々に盗塁の感覚をつかんでいった。
2017年のドラフト会議でロッテから育成1位指名を受け支度金300万円、年俸240万円で入団。背番号は122。
NPB3年目の2020年。育成選手ながら春季キャンプから一軍に合流したのち、6月1日に支配下選手登録契約を結び、背番号は122から「63」に変更となった。最終的に71試合に出場。うち、先発出場は14試合のみで、43試合が代走として、14試合が守備からの出場であり、打席数は69と少ないながらも、リーグ3位の23盗塁、盗塁成功率.885を記録。
2021年も代走や守備固めでの途中出場が中心となり、前年を上回る96試合に出場しながらも先発出場は僅か2試合で、打席に立つ機会が更に減少するが、24個の盗塁を決め、荻野貴司、西川遥輝(日本ハム)、源田壮亮(西武)と4人で盗塁王のタイトルを分け合った。しかも、
- 球団での盗塁王は2006年の西岡剛以来15年ぶり。
- 規定打席未満の盗塁王は2020年の周東佑京(ソフトバンク、NPBにおける育成選手出身者初の盗塁王)以来12人目。
- 最少打席数わずか24打席の盗塁王は2リーグ制以後の1966年に記録した山本公士(阪急)の158打席はおろか、1リーグ時代の1944年(全35試合)に記録した呉昌征(阪神)の93打席を大きく下回る。
- BCL出身者では初のNPBタイトル獲得者。
…となった。
2022年も代走や守備固めでの途中出場が中心で69試合に出場。しかし盗塁は11盗塁に終わり、また、打撃成績も振るわず髙部瑛斗や山口航輝などの後塵を拝すことになった。
2023年は、バットをタイ・カッブ型に持ち替え、7月29日の福岡ソフトバンク対千葉ロッテ第15回戦(PayPayドーム)でNPB初本塁打。