概要
学生時代から自主製作映画を撮っていた。
1964年、セイコーのテレビコマーシャル(CM)を皮切りに、草創期のテレビCMにCMディレクターとして本格的に関わる。1日1本と言われるほどの頻度でCMを製作し、「CM界の巨匠」の異名もあった。1970年のマンダムのCMは「う~ん、マンダム」という流行語を生みだした。このセリフも大林が考案したものとされている。
1977年の映画『HOUSE』で、初監督。自主制作映画出身の監督がいきなり東宝で商業デビューするというのは画期的で、東宝社内でも「社内での助監督経験がないものを起用するのはいかがなものか」と反発する声があった中、岡本喜八の口添えで製作が決まったとされている。
1982年、自身の郷愁を込めて尾道を舞台とした映画『転校生』を発表。『時をかける少女』、『さびしんぼう』と合わせ"尾道三部作”として多くの熱狂的な支持を集めた。地方活性化を目的としたいわゆるご当地映画、そしていわゆる聖地巡礼の先駆けとしても評価されている。
大林はこれまで主に、新人アイドル・新人女優を主役にした映画作りを行い、「アイドル映画の第一人者」とも称される。特に1970年代〜1980年代に手掛けた作品は「70年代アイドル映画」「80年代アイドル映画」というジャンルとしても評価される。
また2013年にはAKB48の「So long !」の総尺64分の長編MVを手掛け物議をかもした。
「同じことは二度としない」と公言している通り、大林のフィルモグラフィは1作ごとに異なる実験が行われている。
2004年(平成16年)春の褒章に於いて紫綬褒章を受章。2019年10月29日、同年度の文化功労者に選ばれた。
2020年4月10日19時23分、肺がんのため、東京都世田谷区の自宅で死去。82歳没。遺作は同年7月公開「海辺の映画館―キネマの玉手箱」。奇しくも命日は同作の当初の公開予定日だった。
2021年、第44回日本アカデミー賞会長特別賞を受賞した。
主な監督作品
「ねらわれた学園」(1981年7月11日 東宝)
「少年ケニヤ」(1984年3月10日公開)
など。