概要
もともとはソ連の指導者レーニンが提案した大民族主義に関する言説であり、後に中国共産党によって漢民族の歴史・文化・血統・正統性がその他の民族に対して優位であることを主張するものと定義された。政治にはあらゆる事柄において漢民族の利益を優先し、その他の民族よりも漢民族を重視することを主張する民族主義である。
現段階の中華人民共和国の公式な主流見解によれば、大漢民族主義は一種の大民族主義であり、中国大陸では主に、漢民族以外の民族を差別・抑圧、政治・経済・文化の各方面でその他の民族な権利を制限し・奪い、少数民族の習慣・言語・服装などを強制的に変更し、武力によってその他の民族な抵抗を抑圧するものとみなされている。
『中華人民共和国憲法』はその前文で、「民族の団結を守る闘争の中では、大民族主義、主として大漢民族主義に反対し、また、地方民族主義にも反対しなければならない」と記述している。いつ頃からこの言葉が使われ始めたかはまだ考証できていないが、比較的早いものでは1953年3月16日の毛沢東の書いた「批判大漢族主義」がある。また一時期の中国共産党がこの言葉を定義づけしたことがある。
現在の中国では、中国共産党は民族平等政策を採り、少数民族の利益は守られている。例えば少数民族の母語の多くは汉語の普通話ではないが、試験の多くは普通話で行われる。公平を帰するため、多くの地方の少数民族はその少数民族の言葉で受験することができる(このようなケースは多くの発展途上国でも見かけることが出来る)。しかしながら中国政府はこれらの少数民族に漢民族よりも高い優遇を受けられる規定を設けている。この民族政策上の矛盾が一部の漢民族の不満を引き起こした。
21世紀の現在、中国の漢民族の一部に「漢民族・漢文化の復興」を唱えるものが出てきた。これらに参加する者は主に会社員や大学生だ。行動として、「漢服復興運動」、「国学復興運動」、「読経運動」等が各地で起きている。しかし先覚的な為か一部の参加者の言葉遣いや振る舞いは過激な民族主義の傾向になっている。2008年、中華人民共和国の歴史学者である厳崇年は、テレビで清朝と満州族の功績を宣伝したため、公衆の面前で平手打ちを食らった。
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