概要
この思想は清朝末期、列強の脅威に直面して「亡国滅種」(国を失い、民族を滅ぼす) という危機感を抱いた一部の中国人が、清朝の民族差別政策に不満を抱き、中国の危機を国内の「異民族」(満州族)の統治のせいにしたことから生まれた。このような思想が、20世紀初頭に「駆除韃虜、恢復中華」(満州族を駆逐し、中華を取り戻す) を主張する「中国同盟会」を結成し、中華民国の成立・清朝を倒す後の五族共和政策の採用へとつながっていった。
孫文、鄒栄、章太炎らに率いられた政治家は、清朝の長期にわたる民族抑圧と民族主義な思想の影響を受け、漢民族主義を提案する、満州族の排斥を訴えて漢民族は主体の国を建設しようとした。一方に梁啓超をはじめとする改革派は、「五族共和」をスローガンとする中華民族主義を打ち出し、元の清帝国の範囲を維持し、中華民族を再統合して民族国家を樹立することを望んだ。
中華民国が五族共和として成立した後、孫文はかつて5つの民族の統合を唱え、1921年から1924年にかけての「三民主義」に関する演説の中で、中華民国はアメリカ合衆国を手本として、人口の大多数を占める漢民族を中心に、他の4つの民族(満州族、モンゴル族、回族(ウイグル族を含む)、チベット族)を統合し、5つの民族が融合して新しい国家を形成するべきだと主張した。
中華人民共和国の改革開放後、中国内地のインターネット上では「皇漢」と呼ばれる新しいタイプの漢民族主義者が台頭し、現実には漢民族の英雄や歴史的事件を記念するためにネットの外に集い、浙江省嘉善縣の西塘漢服文化週間や中国漢服節などの大規模な漢民族の文化イベントに参加するようになった。一方にこうした漢民族主義者の一団は、ネット上で漢民族を対象とした一人っ子政策に反対し、中国政府による漢民族な差別やその他の不平等政策への反対を呼びかける意見グループを形成しており、こうしたグループは微博やWeChatなどのソーシャルメディア上で少なからぬ影響力を持っている。
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