概要
「大魔神我」とは、「マジンガーZ」のリメイク企画である。OVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)で発売予定だった。
80年代。
ビデオデッキの普及にともない、レンタルビデオの需要が高まっていた頃。TV放送と劇場公開に続く、新たな作品公開の媒体として『ビデオ』が台頭していた。
そして80年代当時は、既存作品のビデオ化のみならず、ビデオオリジナルの作品もまた製作され、発売およびレンタルされる事も多くなっていた。
その作品群には、若手アニメーターたちが中心となって企画・製作されるものも多かった。
「大魔神我」もその一つで、マジンガーZを(当時における)今風のアニメとしてリメイクしたいという欲求が、この企画を作り、製作を進めた原動力とも言える。
企画が立てられたのは、昭和61年(1986年)。
徳間書店のアニメ誌「アニメージュ」。同年6月号に設定画が掲載、同年8月号にて製作が発表された。
スタッフ
製作会社:AIC
監督・キャラクターデザイン:平野俊弘(現:平野俊貴)
メカ作監・メカデザイン:大張正己
絵コンテ:大畑晃一
脚本:会川昇
作監:大貫健一
美術監督:新井和浩
発売予定は昭和62年(1987年)春、45分ぐらいのものになるはずだったという。
内容・詳細
現在も検索すれば、断片的であるが当時の設定画などがヒットする(それらはダミーという話もある)。
が、今現在の目で見ると、違和感は否めない。
平野氏は、企画の前年(85年)に発売された『戦え!!イクサー1』のキャラクターデザインを手掛けており、当時の熱心なアニメファンの人気を得ていた。
が、平野氏の絵柄は、いわゆる「オタクの好む美少女アニメ」といったものであり、永井豪の原作の作風、およびアニメのマジンガーにおける荒木伸吾・姫野美智両氏のそれとも、まったく異なるものだった。
昨今で言うなら『原作と絵柄が異なる二次創作』という感覚に近い。平野氏によりリデザインされた兜甲児および弓さやかは、確かに美少年・美少女ではあるものの、永井豪作品のキャラクターとして受け入れられるかどうかは、疑問の余地があるデザインでもあった。
(参照)
(参照)
加えて、同じく大張氏によりリデザインされたマジンガーZこと「大魔神我」も、物議をかもした。
当時におけるアニメファンに人気なロボットのデザインになっており、更には大張氏独自の「人体を意識したスタイリングと、過剰なまでのディテール」、いわゆる「バリメカ」風にされていた。
(参照)
見た目の印象は、大張氏が前年に参加していた『超獣機神ダンクーガ』などに近い。
このロボットのデザインもまた、今までのそれとは大きく異なっており、過去のマジンガー三部作のファンからは不評を買ってしまった。
※メイン画像含め、実現したらこのような感じになったものと思われる。
それでも製作は進められ、86年夏頃には脚本の決定稿が完成したとの事だが、その後に「諸々の事情により」中止になった。
一説には、「当時の東映が、マジンガーを改めて大々的に製作する予定だったため、大魔神我のタイトルにクレームをつけた」とあるが、真偽のほどは不明。
その後
中止になった「大魔神我」の代替案として、マジンガーシリーズとは無関係の、オリジナルの企画が立案され、製作された。
それが、87年に発売された、『破邪大星ダンガイオー』、および『大魔獣激闘鋼の鬼』の、二本のOVAである。
両作品とも、「大魔神我」のメインスタッフの予定だった面々が参加しており、「大魔神我」における主要モチーフ……
「70年代スーパーロボットのオマージュで、派手でダイナミックなメカアクション」は、ダンガイオーに、
「ハードかつ、重厚なドラマ」は、鋼の鬼に、それぞれ流用されている。
なお、ダンガイオーは、故・石川賢原作の「無敵少女ラミー」を下敷きにしており、「大魔神我」のお蔵入りに対し永井豪が、「この作品を使って良い」と言って無敵少女ラミーが提供されたとも言われている。奇しくもダンガイオーは「超獣機神ダンクーガ」の企画書仮題と、名称のみながら終盤登場予定だったライバルロボットの仮名でもあった。
※ちなみにラミーは、後にダンガイオーの監督の平野氏の手により、漫画化されている。その際にはダンガイオーのキャラも登場していたりも。
なお、マジンガーのOVA登場は、その後、90~91年に実現する。
当時発売されたOVA、「CBキャラ 永井豪ワールド」にて。マジンガーZおよび兜甲児ら各キャラは、いわゆるSDキャラ風のデザインになって登場する。