概要
1970年に開催された大阪万博のシンボルおよびパビリオンとして、芸術家の岡本太郎がデザインして建てられたパブリックアート。
全長65メートル。基底部の直径20メートル。
頭頂部の両目はサーチライトになっており、万博当時には照射していた。
万博当時はこの像の建つ場所には大屋根が設置されており、大屋根をぶち抜く巨大な像になったことから岡本太郎と万博に参加した建築家の間で激しい議論になったという。
この大屋根は万博終了後も1976年頃までは残されていた。
エキスポタワーと対になるように配置されていた。
また、万博会期中には政治的意図で頂部に登って居座った男が居り、当時は「目玉男」と呼ばれた。
万博終了後
当初は必ずしも万博終了後も保存するという方向であったわけではなく、一部で撤去、解体の動きもあったが、市民の反対の声や、自身の作品を残すことに拘りのない作者の岡本太郎が珍しく残すことを主張したこともあり、保存されることになった。
両目のサーチライトは万博終了後に電気室が浸水したために2000年代まで使用不能になっていた。
愛知万博を前にした2004年にプレイベントとして自動車用ライトと電源を仮設して仮復旧されて久々に照射された。この時の写真を見ると、元のライトは撤去されていなかったので、往時よりやや内側で発光しているのがわかる。
現在は本格的に修復され、LEDで点灯するようになっているが、航空機の眼を眩ませる危険があるので当時より光量は落とされている。
構造
塔の先端と中央部、そして裏側に顔が付いているのが特徴。それぞれの顔は未来、現在、そして過去を意味する。万博を護る守護神的な意味もあったという。メタリックな頭頂部の顔と、赤い曲線が走る巨体は、どこぞの巨人にも似ている。また、万博当時は地下に第4の顔、 「地底の太陽」が設置されていたが、地下の閉鎖に伴い撤去された後、行方が分からなくなってしまった。
塔の内部にある高さ45メートルの「生命の樹」には生命の進化を示した模型が展示されている。万博終了後は非公開となり展示模型の多くが散逸してしまったが模型を復元し、内部を補修。
幾度かの限定公開を経て2018年3月19日より再び公開された。(要予約)
また、内部の修復や耐震工事に伴い前述の「地底の太陽」も復元された。
2018年、2025年に大阪で万博で開催が決定し、それを受けて当時の松井大阪府知事が、太陽の塔の世界遺産登録を目指すことを表明している。
若い太陽の塔
日本モンキーパークにある、「(大阪の太陽の塔の中央にある「現在」の)太陽の顔」の周囲に11本の炎を配したオブジェを掲げるシンボルタワー。
万博熱の高まりを受けて大阪万博の前年・1969年に設置されたことから大阪の太陽の塔とはしばしば「兄弟」のように扱われる。
『TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇』の主役キャラクター・タローマンのモチーフとしてもおなじみ。
太陽の塔のロボ
太陽の塔はフィギュアなどいくつか商品化されているが、超合金フィギュアとなり、さらにロボへ変形することになろうとは誰が想像しただろうか。
きっと、岡本太郎自身も想像だにし得なかったであろう。