概要
1978年5月2日生まれ。
小学2年で野球を始める。花園高校では3年夏の京都府大会で準優勝。スライダー、チェンジアップが武器。
1996年ドラフト5位で読売ジャイアンツに指名され入団。巨人には1997年・1998年の2年間在籍するも、小指の骨折などの不運が重なり、一軍出場のなかった。1998年オフに広島東洋カープへ移籍。広島でも1シーズン在籍したが、一軍出場がなく、戦力外通告を受けた。その後、社会人野球のリースキン広島(2004年にリースキンに改称、現:伯和ビクトリーズ)へ入団、5シーズンにわたりエースとして活躍。2004年には都市対抗野球大会初出場の原動力となった。
同年オフのトライアウトに参加したところ、ヤクルトスワローズの安田猛編成部長の目に留まり、2005年からの契約を手に入れた。柳川事件以降で、プロ野球選手が解雇後社会人野球チームを経て再度プロ野球チームに加入するのは渡邉孝男(西武→サンワード貿易→日本ハム)以来2人目。2005年9月に一軍に初昇格すると、中継ぎで6試合に登板。勝ち星はつかなかったものの、プロとしての足跡を残した。2006年はファームでチーム最多の44試合に登板も、一軍登板はなかった。2007年はイースタンで防御率7.16と不振に終わり10月5日に戦力外通告を受けた。