概要
1984年3月9日生まれ。
元々は鹿児島実業高校への進学を希望していたが金銭面の問題で両親に説得され国見高校へ進学した。
在学中の先輩に大久保嘉人、松橋章太などが、後輩に平山相太、渡邉大剛などが、同級生には徳永悠平などがそれぞれいる。2年時に高校タイトル3冠を達成し、3年時には主将として全日本ユースと高校選手権を制した。また、その活躍が認められU16代表から各年代の代表に選出されていた。
2002年に浦和レッズに入団したが、都築龍太と山岸範宏の前に在籍3年間で出場機会を得ることができずにいた。
2004年、GK不足に悩んでいたセレッソ大阪へのレンタル移籍を決断。ここでJリーグデビューを果たしたが、出場はその1試合のみに終わった。セレッソでは結局伊藤友彦や多田大介の後塵を拝し、2005年に浦和に復帰した。
2005年8月、残留争いの最中にあったヴィッセル神戸にレンタルで加入。この年は4試合の出場に留まり神戸は結局残留ならずJ2に降格したがそのままレンタル延長が発表された。その後順調にJ1復帰を決めたチームとは裏腹に徳重自体は出場機会に恵まれないまま2年間が過ぎる。
しかし2008年、守護神である榎本達也が全治約1ヶ月の怪我をしたことをきっかけに出場機会を得ると自身最多となるJリーグ9試合に出場。翌年から完全移籍すると、2010年の和田昌裕監督就任後榎本からポジションを奪取。終盤はビックセーブを連発し、J1残留に貢献した。榎本が徳島ヴォルティスへ移籍した2011年は自身初のリーグ戦全試合フル出場を達成。初めて1年間通してレギュラーとしてプレーした。
2012年もレギュラーを務めたが、10月24日の練習中に左足を捻挫。チームが残留争いをする中で無念の離脱となってしまった。終盤戦に復帰するも、結局16位で降格になった。その後は山本海人や韓国代表のキム・スンギュらが加入し、出場機会が減少した。
2018年、V・ファーレン長崎に完全移籍。 加入後から前年守護神だった増田卓也を抑えレギュラーに定着。結果チームはJ2降格となったものの、自身は28試合に出場した。 翌年の2019シーズンは富澤雅也とポジションを争い、27試合に出場した。 2020シーズンは清水エスパルスから加入した高木和徹に開幕スタメンを取られたものの、シーズン終了までポジション争いを繰り広げ、23試合に出場した。2021シーズンは開幕スタメンを奪取し、好調な滑り出しを見せていたが、リーグ中盤頃に富澤がレギュラーに定着したためメンバーから外れ、その後の出場は無かった。
2022年、愛媛FCへ完全移籍。プロキャリア初の背番号1を背負い、同年は守護神としてリーグ戦33試合に出場。
エピソード
浦和レッズ時代に、都築龍太に憧れて襟足を伸ばしていた時期がある。
小ボケ好き、若手GKからそれをイジられることも多々ある。