概要
状況が変化すると一転して優勢な勢力を支持し出すこと、そうしたことをして生き残りをはかっていく処世術のこと。
天気模様を意味する「日和」からとられたもので、転じて環境の変化に合わせて態度を変えることを揶揄して用いられている。
さらに転じて、八方美人さながらに周囲の顔色をうかがい中途半端な立ち位置に終始することを「日和(ひよ)る」と表現する。
これは全共闘期に官憲や他勢力との妥協を図ったり本腰入れて運動に参加しないメンバーへの非難として新左翼ガチ勢が使用し始めたことで広く用いられる表現になったとされる。(こちらも参照)
世間では…
マイキー「パーの親友(ダチ)やられてんのに日和ってる奴いる? いねえよなぁ!!?」
(『東京卍リベンジャーズ』より)
はっきりいうと世間の大多数の一般人や多数派が多かれ少なかれ選択している態度ではある。というか、世間ではかなりポピュラーかつ安易な選択肢の一つである。
その一方で、自己中心的な様子が目に余るレベルになっている場合は、キョロ充やクズモブと蔑まれることもある。
最悪、自己正当化のために詭弁に走ったり、勝ち馬であれば明らかな悪に与する事もしばしばある。
現実においても、あまりに腰の定まらない態度を続けていると、思想の左右やタカ派ハト派を問わず卑怯者と罵倒されることも。
中立派を気取るなら気取るで毅然とした態度であるのが理想なのだが、そもそも当事者意識が薄く、物事を判断する知恵を身につける気もない故、そんな態度をしている場合が多いのだから、まあ無理はない。
マキャヴェリや韓非ら思想家いわく、こうした面々は理想よりも目先の利益を優先するためら集団のリーダーは常にその動向と操縦に気を配る必要があるとしている。
そして様々な表現で「こんなコウモリ野郎どもなんて信用に値しない(大意)」とさえ言い切っている。しかし、同時に浮遊票という無視しきれない影響を持つため、蔑ろにするだけではダメだとも指摘している。
※ただし、周囲の状況の推移を適宜に判断して臨機応変に対応していくこと自体は決して悪い行いではない。『TPOをわきまえたうえで』という注釈は付くが。