『朧月夜』とは
『源氏物語』の朧月夜
名前の由来は初めて源氏と会った時に彼女が口ずさんでいた大江千里(歌人)の和歌「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしく(似る)ものぞなき」から。
桐壺帝の右大臣の六の君(六番目の娘)で、弘徽殿女御の妹という高貴な生まれだが、作中では珍しい艶やかで奔放な気性の女君である。
活躍
当初は、姉・弘徽殿女御の産んだ東宮(後の朱雀帝)の女御として入内する予定だった。(朱雀帝との関係は甥と叔母だが、当時は珍しい事ではなかった)
宮中の桜花の宴の夜に思いがけなくも光源氏と出会い、後に関係が発覚して入内は取り止めになる。葵の上の死後、右大臣は源氏と結婚させることも考えたが、弘徽殿女御が猛反対と源氏自身も既に紫の上を妻にしていたため実現しなかった。
始め御匣殿の別当として登華殿にあり、後に尚侍(ないしのかみ)となって弘徽殿に移る。その美貌と華やかな人柄から朱雀帝の寵愛を一身に受ける一方、源氏との逢瀬も密かに続けていた。(朱雀帝は知っていたが、自身が源氏の魅力に及ばぬことを認め、朧月夜を責めなかった)そして彼女との関係が発覚したことが右大臣と弘徽殿大后の怒りを買い、源氏須磨流しの一因となった。
源氏の不在中に父太政大臣(元右大臣)が死去。朱雀帝退位の後、帝の深い愛情を知った彼女は朱雀院のもとへ行く。朱雀院出家後に再び源氏と関係を持つが、最後は源氏にも告げずに院の後を追い出家、物語から退場する。
呼び名
六の君 | 右大臣の六番目の娘という事を指している |
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有明の君 | 光源氏が朧月夜との逢瀬の際、有明の月が明るいうちに去るように言われたことから呼ばれた。 |
尚侍君(かんのきみ) | 尚侍の役職に就いていたため呼ばれた。 |