六条御息所(ろくじょうのみやすどころ/ろくじょうみやすどころ/ろくじょうのみやすんどころ/ろくじょうみやすんどころ)は、『源氏物語』の登場人物。
主人公の光源氏の女君(愛人)の一人として、序盤に登場する。
概要
華やかなイメージがある『源氏物語』の中で、生霊になって人を殺すという異質な活躍を見せる超高貴な未亡人。
『源氏物語』の中でも読者人気が高く、それゆえ彼女の二次創作ものも多く、また評価も時代によってバラバラ。江戸時代には妖怪扱いされたが、現代では日本文学史のヤンデレの元祖に祭り上げられたりしている。
有名な能面「般若」はこの六条御息所の呪い殺しの場面が由来となっている、という説すらある。ただし確たる根拠はない。
活躍
亡き東宮の元妃(現代でいうところの皇太子妃。作中の亡き東宮というのは光源氏の父である桐壺帝の同母弟とされる。つまり彼女は源氏にとって亡き叔父の妻、義理の叔母でもある)というやんごとなき地位を持ち、知性も教養も高いという完全無欠さの上にプライドも高い難攻不落の美女だったが、主人公の光源氏(年下)の求愛に屈する。
(ただし、源氏が六条御息所に言い寄る場面自体は現存する巻に存在しておらず、巻と巻の間でいつの間にか源氏の恋人になっていた、という扱い。漫画・映画等のメディアミックスで描かれる求愛の場面は原作にないオリジナルである。ちなみに「本来この場面を描いた巻は存在しており、何らかの理由で欠番になっただけである」とする説も唱えられている)
一夫多妻制だった当時、源氏にはすでに正妻葵の上がおり、愛人という位置づけでしかないことを我慢していた。しかし、葵祭の見物の場で葵の上の従者と御息所の従者が諍いを起こし、葵の上の従者が御息所の乗っていた牛車を破壊してしまう。この事件でひどくプライドに傷を付けられた六条御息所は、精神が暴走し生霊となり、葵の上を呪い殺してしまう。
それまで幽体離脱の自覚がなかった御息所は、自分の服に芥子(病気の治療や祈祷に使う)の匂いが染み付いて取れないことで、自分がしでかしたことに気がつく。そして、斎宮になった一人娘(秋好中宮)についていく形で伊勢神宮へ旅立ち、数年後に役目を終えた娘と共に帰京。源氏に知らせることなく自らの病を理由に出家し、息を引き取りはいおしまい─と思われたが……。
何と、怨霊として再登場。その後源氏の正妻ポジションになった紫の上や女三宮が病気になった時にも取り憑き、ストーリーを引っ掻き回した。しまいには葵の上死亡以前に起こった、夕顔という女の突然死の場に現れた幽霊も御息所だという説まで読者の間ででる始末。何でも御息所のせいにすれば済むってもんじゃないぞ。
一人娘の秋好中宮は、亡き母の暴走を嘆き悲しんで追善供養を行ったという。
一方、光源氏は六条御息所の怨霊から「調伏の修法を行なわれると、苦しいだけで成仏する事が出来ない。私が二度と祟らぬように、私を苦しめるのはやめて、成仏出来るように供養を行なって欲しい」と頼まれた後……こりゃ、いい事聞いたとばかりに、六条御息所の怨霊を更に苦しめる為に僧侶達に調伏修法を続けさせたのである。事有る毎に祟りを成したとは言え、元カノに対してこの仕打ち、クズ男にも程が有る。
当時病気は悪霊によってなされるものと思われていたため、いいようにこき使われている。ちなみに肝心の作者紫式部は、「幽霊?怨霊?あなたたちそんなの信じてるの?」というくらい冷めた視点の持ち主らしい。
また、怨霊はともかく生霊に関しては「源氏物語」と同時代の別の文献(貴族の日記など)には、ほぼ記述が無く、「六条御息所が生霊となった」という展開は、作者である紫式部が、わざと当時の基準でも現実感のない描写にした可能性も有る。(要は、「源氏物語」が名作として伝わった為に、死者の怨霊はともかく生者の生霊は「源氏物語の独自設定」だったのに「当時の人は生霊を信じてたんだ」と後世の人間が誤解してしまったかもしれない訳である)
ちなみに、六条御息所は本名ではない。あまりにも高貴な人物なので恐れ多くて名前を出せないので、便宜上付けられた呼び名。「平安京の六条大路あたりに住んでいる妃(ただし「御息所」とは天皇及び東宮の子を産んだ妃にのみ与えられる)」くらいの意味。
余談
この六条御息所の物語は、後世で能の演目として再現されることになった。
一説には、この時使われた鬼女の面が、演目上で葵の上が般若心経を唱える演技をすることに由来し、般若面と呼ばれるようになったともいわれる。