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概要

1986年7月17日生まれ。福岡県出身。

千葉県にある国際武道大学を経て、2008年のドラフトで阪神タイガースから2位指名を受け、入団。同期には蕭一傑上本博紀西村憲がいる。(蕭一傑1位、上本3位、西村4位指名)俊足が持ち味の選手で、入団1年目の2009年から「赤星憲広二世」や「ポスト赤星」と呼ばれ、赤星憲広と比肩されるほど期待が大きかった選手であったが、この年はオープン戦で結果を残せず二軍生活を送る。

2011年に初めて一軍出場を果たしたが、当初代走や守備固めでの出場ばかりであった。シーズン中盤にプロ初安打を記録すると、自身初のスタメン出場を経験。「2番・センター」のレギュラーを獲得した。

2012年にはそのまま開幕戦外野手スタメンを勝ち取ったものの、この年に内野手から外野手へと転向(実際は内野手登録だった)した大和(前田大和)との併用で出場した。しかし、大和が徐々に調子を上げていったため、スタメン出場の機会が減り、一軍と二軍を行ったり来たりしたシーズンを過ごした。

2013年には福留孝介の加入もあり、外野のレギュラーがマートン、大和、福留に固定されたため、開幕は二軍スタートとなったが、福留が故障で戦線離脱すると、福留の穴埋めとして一軍昇格。プロ初ホームランやサヨナラタイムリーも放った。

2014年には、一軍公式戦27試合に出場したが、打率が.179にとどまった。2015年は一軍公式戦20試合で打率.190、2016年は一軍公式戦10試合で打率.214と打率が伸び悩み、同年戦力外通告を受けた。

同年オフのトライアウトを受けた後千葉ロッテマリーンズが関心を示し、入団テストに合格してロッテへ入団。しかし十分な活躍ができず(一軍公式戦17試合の出場、打率.121)、再び戦力外通告を受け現役引退を決めた。引退後は阪神の球団職員へ。

プレースタイル

50メートルは5秒7遠投は110メートル投げることができる青木宣親に似たバッティングフォームでボールを打つ。愛用のバットも青木モデルのバットである。

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柴田講平
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