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水本勝己

みずもとかつみ

水本勝己は、岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手(捕手)、コーチ。右投右打。
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経歴編集

1968年10月1日生まれ。

岡山県倉敷市出身。右投右打。


倉敷工業高では強打の捕手として鳴らし、3年次の1986年に夏の甲子園出場。1日目第3試合の1回戦・対秋田工業高戦において1-11で敗れて初戦敗退。

高校卒業後は、社会人野球の名門・松下電器に進み、潮崎哲也ともバッテリーを組む。チームは3年連続で都市対抗野球大会に出場した。(本人は2年目のみ登録されるが、試合出場はなし)

1989年秋に、倉敷工業高の先輩である片岡新之介を頼って広島東洋カープの入団テストを受験し合格、同年オフにドラフト外で入団したが、1991年のシーズン終了後わずか2年の早さで現役を引退した。


現役引退後編集

引退後は、広島のブルペン捕手として長年チームを陰で支えた。

2007年シーズン途中、ブルペンコーチ補佐(ブルペン捕手兼務)に就任。

2011年、事実上の三軍監督となる「三軍統括コーチ」に就任した。

2013年から2015年まで二軍バッテリーコーチを務めた。

2014年9月には、二軍監督の内田順三が翌2015年から読売ジャイアンツ(巨人)の二軍打撃コーチに就任するため退団したことを受け、秋季教育リーグのフェニックス・リーグで二軍監督代行として指揮を執った。2015年3月10日に一軍総合コーチの永田利則が体調不良のため入院した際には、その間の代役を二軍監督の高信二が務め、水本が二軍監督代行を務めた。

2016年、前任の高が一軍ヘッドコーチに就任したことに伴い二軍監督に昇格。就任1年目の2016年はウエスタン・リーグ5連覇を達成した福岡ソフトバンクホークスから24ゲーム差の4位と低迷した。

2017年には中日ドラゴンズ、ソフトバンクとの熾烈な優勝争いを制して1991年以来26年ぶりのウエスタン・リーグ制覇に導き、10月7日にKIRISHIMAサンマリンスタジアム宮崎で行われたファーム日本選手権では2-5で読売ジャイアンツを破り、巨人・内田二軍監督との「師弟対決」を制して初のファームチャンピオンへと導いた。その後は2020年まで二軍監督を務め、2020年限りで退団した。


2021年シーズンからはオリックス・バファローズの一軍ヘッドコーチに。背番号は88。

2022年8月27日、COVID-19陽性判定のため休養となった中嶋聡監督に代わり、プロ野球史上初となる“元NPB球団在籍選手かつ一軍公式戦未出場者による監督代行”として一軍の指揮を執り、同日の対埼玉西武ライオンズ戦で6-0と勝利。1968年に阪神タイガース監督を務めた藤本定義以来の、プロ野球一軍公式戦出場経験のない監督として54年ぶりの勝ち星を記録した。

2023年も6月13日から体調不良の中嶋監督に代わって再び監督代行として指揮を執り、初戦の対阪神タイガース戦を白星で飾るなど、2カード6戦5勝1敗の好成績でまとめ上げた。


関連タグ編集

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