江戸しぐさ
えどしぐさ
NPO法人「特定非営利活動法人江戸しぐさ」が主張している、「江戸の商人達の行動哲学」とされるものである。
「江戸しぐさ」理事長の越川禮子は、江戸しぐさの「復興者」を称する芝三光に弟子入りし、江戸しぐさを学んだという。
芝没後の2000年代から越川により、日本の心遣い溢れるマナーのありようとして広められ、東京ディズニーランドを運営するオリエンタルランドなどの社員研修にも採用。政界や教育界でも一定の影響力を持ち、2014年度から活用される文部科学省著作の道徳の教科書に掲載された(つまり政府公認である)。
- 傘かしげ
狭い道などですれ違う際に、傘を少し倒して相手のためのスペースを作る動き
- こぶし腰浮かせ
船に乗り合うときの席の譲り合い
- 時泥棒
断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪にあたる。定刻より5分前を合言葉にしたい。
などであるとされ、これらは商売繁盛の秘伝として口述で伝えられて来たという。
明治維新の後にこれらは滅びたが、それは江戸開城の時、「江戸講」のネットワークを恐れた新政府軍が江戸しぐさの伝承を失わせ、江戸しぐさの伝承者である江戸っ子たちを大虐殺したためであるという。生き残りの伝承者は勝海舟の計らいで江戸近郊の武蔵(埼玉・多摩)や下総(千葉)に逃れ、秘密結社として細々と江戸しぐさを伝えてきたが、戦時中に全て解散させられたという。
江戸しぐさについては「実際の江戸時代の習慣などを考えるとあり得ない」という、在野の歴史研究者や江戸文化研究家、落語家などからの批判が数多く入っている。
例えば上記の「時泥棒」については、電話もない時代にどうやってアポをとるのか? 時計も普及しておらず「大体酉の刻」くらいのアバウトな待ち合わせが多かった時代に、多くの人が時間に厳密だったとは考えられない、などである。そもそも、幕末から明治維新にかけて来日した外国人の記録では、要職にある人物や軍人ですら平気で何時間も遅れてくる日本人の時間感覚のなさを痛烈に批判している例がいくつも散見されており、江戸期の日本人は時間にルーズであったというのが定説である。日本人が時間に正確になったのは大正期に行われた啓蒙活動によるものであり、この時泥棒というのは明らかに後世の人間の発想から来たものと考えられる。
また、江戸時代は厳然とした身分社会である。髪型、服装、所持品ですぐにどの身分に属するかがわかり、下の者が上の者に対して常に譲るのがマナーであり、厳しい制限がありながらも無礼を働いたと見なされればSATSUGAIされかねないのが常識であった。
そのような社会に道の譲り合いや席の譲り合い、誰にでも対等に接するなどという行為は常識どころか相手の面子を潰し、最悪殺傷沙汰になりかねない最悪なマナー違反なのである。
その他明らかに昭和以降の感覚で設定されているのではないか? というツッコミ所が多数あり、落語、歌舞伎、浄瑠璃など江戸文化の愛好家からも違和感と嫌悪を示されている。
また江戸しぐさが現代に伝わっていない理由として「江戸っ子大虐殺」などというナンセンスな設定を持ち出している(さすがに文科省の道徳の教科書などではオミットされているが)点は、多くの人々の失笑を買っている。というか、そもそも江戸城無血開城に動いた勝海舟や山岡鉄舟、西郷隆盛に謝れ。
「江戸しぐさ」の実在を示す歴史上の文献はもちろん、その存在を裏付ける証拠(同時代の証言や物的資料など)はなく、典型的な偽史である。
一部には、「マナーとしては正しい(中にはマナーとしてもどうかというものもあるが)のだから、根拠は嘘でも良いのでは?」という意見があるが、それなら偽史を持ち出す必要はなく、普通に現代社会のマナーとして教えればいいだけの話である。