概要
1935年:吉本興業(東京吉本)所属の林家染団治によって結成される。
1940年:戦時経済下の国家統制機関の一部となる。東京の全漫才師の加盟が強制され、同時に「帝都漫才協会」へ改称。
1943年:「大日本漫才協会」の東京支部に改称。
1945年:敗戦により消滅。
1955年:「漫才研究会」設立。
1964年:漫才協団へ改称。
1971年:真打制度を導入。ただし真打にならなくとも主任(トリ)を任されたり弟子を取ったりするベテランもいるなど、基準は曖昧である。
2005年:旧法のもとで法人格を取得、社団法人漫才協会へと改称。
2008年:特例社団法人となる。
以上の経緯から東京で活動する漫才師やピン芸人が中心となっている。現在吉本興業の芸人は自前の劇場(なんばグランド花月、ルミネtheよしもとなど)があるため加盟していないが、会長の塙宣之(ナイツ)は「吉本の皆さんも入ってほしい」と呼び掛けている(但し現在某営業判定受けるため出れないらしい)。一方、上方漫才協会という団体もあるが、こちらは会長が中田カウスであること以外は会員は非公表で、事実上吉本興業に所属している漫才師しか加盟できない。
定席として浅草フランス座演芸場東洋館があり、他の演芸団体である東京演芸協会、ボーイズバラエティ協会と日程を分け合って使用する。
これだけでは出番が足りないので、落語協会と落語芸術協会のどちらかに加盟して色物枠で落語メインの寄席に出演する芸人も多い。
また師匠がお亡くなりになったりするため、最近年配の非吉本芸人をスカウトしている(オードリーやスピードワゴン、ウエストランドなど勧誘している芸人も多いが各々の事情により加入に至っていないケースも多い)。
主な所属芸人
第一~第三世代
おぼん・こぼん:ものすごく仲が悪いことでおなじみ……が、とある番組で遂に和解を果たした。
昭和のいる・こいる:のいるがこいるの話を全然聞いてないネタでおなじみ。
東京丸・京平:日本で初めてネタ中のブリッジを作ったと言われている。
すず風にゃん子・金魚:年齢不詳のご高齢コンビ。
コント山口君と竹田君:くりぃむしちゅーの師匠的存在?
うたじ:解散後にコンビ名を残すため、芸名を「大瀬ゆめじ・うたじ・大瀬うたじ」にしようとした。さすがに却下された。
第四世代
第五世代以降
ロケット団:「その言葉山形では何十年も前から使ってるよ」のネタでおなじみ
U字工事:栃木ネタでおなじみ
オリエンタルラジオ:2人とも吉本興業を退社したため勧誘され入会。