概要
日本の中世、寺社から発行された護符の一種。厄除けのお守り札とするが、その裏に起請文を書く場合が多い。
デザインと利用
熊野のものがもっとも有名で、半紙大の紙に熊野の神の使いとされる八咫烏の図案が描かれている。熊野の神は虚言を正すとの信仰から、中世以後の武士は起請文を書くのにこの牛王宝印の裏に署した。起請文のうち、特に神文の部分を牛王宝印の裏に書くパターンが流行っており、『吾妻鏡』には、腰越状の場面で、源義経が兄頼朝に対して異心なきことを、牛王宝印の裏に起請文を書いて差し出したことがみえる。印の裏に起請文を書いて差し出したことがみえる。実例としては十三世紀後半から見え始め、全文を裏に書く場合もある。起請文は、神文に神仏を勧請し奉るわけであるから、これら神仏を紙面に憑依する手段として、牛王宝印を料紙に用いたと考えられている。戦国時代頃には、起請文が長文の場合には、前書きは通常の紙に書き、神文の部分だけを牛王宝印の裏に書くことが一般化している。
デザインとしては、烏や蛇など神の使いとされる動物を図案化し、「牛王宝印」の文字で表したもの(那智型)、中央に寺社の名前を書き、左右に「牛王」「宝印」の文字を書く様式(八幡宮式)に大別される。
熊野牛王が民間に広く行き渡ったのは熊野比丘尼が諸国にこの信仰を宣伝して歩いたことが考えられる。
名前の由来
「牛王」は仏の異名を指すとする説、または元来はインドで、牛黄(ごおう。牛の胆嚢 にできるもので薬に使われる)を用いた牛王加持という祈禱があったことに基づくとする説、牛頭天王に由来する説などがある。
江戸時代に記された『和漢三才図会』などの文献では、牛王はウブスナ(生土)の「生」の字の下部の「一」が誤って「土」の字の上についたものと説明している。
現代では
現代でも観光地のお寺・神社を参拝した際に入手することが出来る。護符として身に付けたり、門口に貼ったりしている。正月に寺から受けてくる牛王杖、牛王串には、木の棒で、先を割って牛王札が挟んである。和歌山県那智勝浦町・熊野那智大社では、宮司が祝詞を奏しながら柳でつくった牛王杖で打盤を激しくたたき、その音で魔よけをする「牛王神璽祭」が行われる。福島県いわき市の北神谷では、田の水口祭 (みなくちまつり) にニワトコの木に牛王札を三角に折ったものを挟んで水口に立てるという。
牛王宝印が有名な寺社一覧
「八幡宮」と中央に書き、右に牛王、左に宝印と書き添えている。
本宮・新宮・那智の宝印が最も有名で、現在も発行されている。那智の場合は、「那智瀧宝印」という文字を烏点と宝珠とをもって表し、版木に彫って摺ったものである。
「教王護国寺」と中央に書き、右に牛王、左に宝印と書き添えている。印刷のものと墨書のものが有る。