概要
出自や詳しい経歴は不明だが、曹仁の配下武将として登場している。
赤壁の戦い後、周瑜率いる呉軍が曹仁が守る江陵に攻め込んで来た時、牛金は僅かな手勢で打って出て奮戦するも危うく討たれるところであったが、救援に駆け付けた曹仁に助けられて危機を乗り越えた。後に後将軍に出世している。
それから長年活躍は無かったが、蜀の諸葛亮の没後の235年に、魏に侵攻した蜀軍の馬岱を迎え撃ち、撃退に成功。
238年、遼東の公孫淵が反乱を起こすと、司馬懿に従軍して公孫淵討伐に赴く。
しかしその後、司馬懿によって毒殺されたとされる。
殺された原因は諸説あるが、その一つに「玄石図」という石碑に「馬の後を継ぐのは牛である」という予言が刻まれており、司馬懿ら司馬氏は「馬(司馬氏)の後を継ぐのは牛(牛氏)である」と解釈し、「司馬一族が牛一族によって立場を追われる」と思い込んで牛金ら牛一族を恨むこととなったという。