概要
プロフィール
経歴
嘉吉元年(1441年)に従五位上、嘉吉3年(1443年)に南朝の遺臣が襲撃した際に後花園天皇を護った。その後は弁官(左少弁・右中弁・左中弁・左大弁)・蔵人頭に就任し享徳元年(1452年)に参議と従三位の位となる。享徳2年(1453年)に権中納言。康正2年(1456年)に正三位、応仁元年(1467年)の応仁の乱では邸宅が焼かれ勧修寺・石山寺・鞍馬寺へと逃れた。文明9年(1477年)に朝廷に戻り出仕した。明応元年(1492年)に権大納言に就任した。自身の日記である『親長卿記』がある。