概要
CV:石塚運昇
陵南高校バスケ部監督。呼称:じじい。
年齢は41歳で、10年以上の監督歴を持つ。自身の練習の厳しさは神奈川県内一と自負している(選手達が思い出すだけで冷や汗を流すほど)。
人物
非常に気が短く厳しい人物であるが、魚住が心が折れて退部しかけた際は「体格の良さは立派な才能」と励まして慰留し、海南戦前には猛練習に耐えきった選手達を労い褒めるなど部員たちを思いやる面も見せる。一方で、福田のプライドの高さを読み違えて彼を厳しく指導し過ぎて暴力沙汰を起こさせてしまったことがある。
かつては三井寿、宮城リョータ、流川楓と言った強豪選手をスカウトしたこともあったが悉く断られてしまっている。田岡曰く「予定通りに行っていれば恐ろしいチームになっていた」。
桜木とは、初対面となる練習試合の時に「じじい」と呼ばれたりチョップやカンチョーされたりなど酷い目に遭わされたことから快く思っていないものの、試合で見せた悉く裏をかく頭の切れ(これは桜木が流川を嫌っていることを知らず、流川を頼るという思い込みによる失策)や驚異的な身体能力を目の当たりにしてから素質を認めており、試合後は赤木に「桜木は鍛えればモノになる」と言いそうになった。
それでも当時は開花するのはまだ先だと高をくくり、素人の域を出ていない彼を湘北の不安要素と決めつけていたが、後述でこれが仇となる。
高校時代は「神奈川に田岡あり」と言われたほどの名選手で、一つ年下の海南監督・高頭力とはその頃からの因縁関係である。本人は「今でいえばオレが仙道、高頭は流川みたいなもんだ」と語っていたが、陵南選手達からは「ウソだ」と連呼されて信じてもらえなかった(余談ではあるが、その回想に出てきた田岡の背番号は「7」で高頭は「11」であった)。
湘北とのインターハイ予選での対決において、「湘北の不安要素」を用いて勝利へ導こうと画策したが、「不安要素」に当たる人物にことごとくシュートを決められ、結局敗戦となった。そのときの脚本が田岡自身で、主役が仙道の予定であった。
試合後のインタビューでは、「敗因はこの私!! 陵南の選手たちは最高のプレイをした!!」と自らの失策を認め、選手たちを労った。
安西先生の鬼監督時代の人柄をよく知る数少ない人物の1人でもあり、彼が穏やかになった現在でも頭が上がらない。