概要
1941年(昭和16年)4月6日生まれ。岡山県浅口郡鴨方町(現・浅口市)出身。静岡県沼津市育ち。現在は軽井沢在住である。
津田塾大学大学院博士課程修了(※実際には単位取得満期退学という形であり、退学から間も無くイギリスに留学している)。
英文学者、政治家(元国会議員)、歌手など幅広い分野で活動している。元法政大学教授。
元々は英文学を指導していたが、さまざまな経験を通じてフェミニズムの研究者・指導者として社会発信を行うようになる。
日本におけるラディカル・フェミニスト(※ただし、主張の全てがラディカル・フェミニズムの典型と同じというわけではない)の代表的な存在の一人である。
政治家としては主張の一つとして、専業主婦の社会進出を促す目的で配偶者控除・配偶者特別控除の撤廃を訴えていた。また、現行の結婚制度には「男の奴隷になるようなこと」だと懐疑的で、選択制夫婦別姓にも賛成の立場を示しており、「大日本帝国が朝鮮人に強制した創氏改名などと同じ、男性による女性の支配・侵略活動だ」と非難している。従軍慰安婦問題など歴史問題にも関心を持っており、本人は「強制連行はあった」と肯定的な意見を示している。
学者・政治家というよりはテレビに出演する文化人タレントとしての知名度が高く、『たかじんのそこまで言って委員会』の準レギュラーを務めるほか、『ビートたけしのTVタックル』にも長年出演し、男性出演者と舌戦を繰り広げた。
2006年からはシャンソン歌手としてライブも開催しており、歌うことが生き甲斐であるという。歌唱力の評価は高いようで、テレビ番組で歌声を披露した際にも大きな反響を呼んでいた。
また、歌と共に「書アート」と称する書画の活動にも熱心に取り組んでおり、個展も開催している。
2001年には土井たか子や福島瑞穂に誘われ社民党所属の参議院議員となるが、政策や党運営などあらゆる点で社民党とは相容れない部分が多く(※)、満足なサポートも受けられなかったこともあって党と喧嘩の末離党している。その後神奈川県知事選挙にも出馬したがあえなく落選した。
(※)田嶋はフェミニストとしての知名度が高く、右派からはしばしばサヨク扱いされているが、マーガレット・サッチャーを尊敬し小泉純一郎にシンパシーを示すなど新自由主義に親和的で、実際には保守寄りの傾向も強い。
若い頃は家族の中で自分にだけ強く当たってくる母との関係や、当時の価値観としての「女性らしくあること」、女性差別について悩み、これがフェミニズム・女性学に傾倒することになった理由の一つであると振り返っている。また、46歳の頃、母にきちんと自分の意見を伝え、母からの支配を抜け出したことでようやく本人の納得できる形での精神的な自立に至ったこと、50代に入ってからは母も同じように「女性らしさ」に縛り付けられ苦しい思いをしてきたこともわかり、和解できたという。
「ヒリテリックなフェミニスト」のステレオタイプ・イメージの元になった人物の1人であるが、出演しているTV番組を良く観ると、感情的になっているのは共演している男性の方、という事も少なくない。