概要
剣術の流儀の名称。
神谷道場の師範代である神谷薫と門下生である明神弥彦が志し、のちに塚山由太郎、新市小三郎、東谷央太などが加わる。
開祖は薫の父である神谷越路郎。
もともと小さな流儀であり、剣術が下火になってきた時代ということもあって、門弟はわずか10人ほどであった。
明治10年、「神谷活心流・人斬り抜刀斎」を名乗る狼藉者が辻斬りを起こすという事件が発生。「殺人鬼の流派」として世間に知られてしまったことで、流儀の名誉は地に落ち、門弟たちも「何かヤバい勢力に目をつけられたのでは」と恐れて逃げてしまい、本編開始時点では、門下生は師範代の神谷薫一人だけという有様だった。
殺人剣を良しとせず、「人を活かす剣」である活人剣を理念とする。
かつて人斬り抜刀斎であった緋村剣心は、薫の言う「活人剣」を真実にそぐわない甘い戯言であるとしながらも、そんな甘っちょろい戯言が好きであると言っている。
余談だが、この「人を活かす剣」という思想自体は日本において明治以前から存在しているものであり、柳生新陰流の開祖である柳生宗厳(石舟斎)の五男で、徳川幕府の兵法指南役だった剣術家・柳生宗矩が説いたものである。
ただし宗矩が提唱した『活人剣』(かつにんけんと読む)には『不殺』という意味はない。
「人を殺す剣をよしとしなかった」という薫の父が説いたものとは別物である。
詳細⇒活人剣
アニメ版では、柔術もこなす流派になっており、薫が弥彦に伝授する場面があった。
後述の『技』においても、剣聖・上泉信綱が考案し、弟子の柳生宗厳(石舟斎)が完成させた新陰流の徒手技術である『無刀取り(真剣白刃取り)』を発展させたようなものが多々あり、もしかしたら本当に神谷家は柳生家と関わりがあるのかも(柳生新陰流がモデルなのかも)しれない…。
技
刃物を使わずに相手を制するないし自らの護身をする。
- 柄の下段・膝挫(ひざひしぎ)
薫が対本条鎌足戦で使用する。
刀身が不要であり、武器が破壊されて柄のみになったとしても戦える技として登場した。
柄を両手で支えて相手の膝に叩き込み、関節を破壊する。
- 刃止め・刃渡り
作中で薫から弥彦への伝授の描写がある技である。
師範代である薫が「実戦での使用は困難」としていた技だが、指南を受けた弥彦が対乙和瓢湖戦・対鯨波兵庫戦・対玄武戦で使用する。
得物を持ったまま手の甲で白刃取りをし(刃止め)、そのまま向けられた刀身を滑り相手の懐に入って柄尻で打撃を与える(刃渡り)。
余談
- 「活人剣」とは、厳密に言えば現代の感覚で言う「人を生かす」とは少しニュアンスが異なり、「人を不必要に殺さない」という意味が強い。そのため、「膝挫」の様に、下手をすると相手を再起不能にしかねない技を持つ。