概要
1873年(明治6年)生まれで左之助は故郷に帰るまで存在すら知らなかった(左之助が赤報隊に入った後に生まれた)。まだ幼く、父親や姉には可愛がられている。
口数も少なく大人しい性格であるが、家族のことを本当に大切に思っており、上下ェ門が行方をくらました時には、単身帯に木槌や棒きれを差して探しに出るなど度胸はある。しかし、今は心配性を拗らせた姉に合わせ、立ち向かって傷付く事より自身の安全確保を優先するなど空気を読んでいる。
左之助が東谷村に巣食うヤクザ一味を懲らしめた際、「姉ちゃんに好きな人が出来て嫁ぐまでは良い弟、孝行息子であってくれよな」「それからは東京に行って神谷道場って道場に行ってみるといい」と諭され、兄とは知らぬま背を見守る。
その翌朝、右喜に頼んで新調してもらった央太の着物には、惡一文字がありありと刻まれていた。
最終回にて神谷道場の門下生として新市小三郎(鯨波兵庫脱獄の際に弥彦と一緒に戦った警官)と共に札が下がっているのが確認できる。
第4部『北海道編』においては既に上京し、小三郎と共に神谷道場で修業を積んでいる。まだ10歳のはずだが、左之助の弟だけあって背はかなり高い(15歳の弥彦よりも高い)。小三郎、塚山由太郎とあと1人と合わせて神谷道場四天王らしい。