概要・略歴
1950年10月26日、栃木県足利市にて、繊維系の染料問屋の家庭に生まれる。
1968年に慶應義塾大学商学部に入学。日吉キャンパスに通うため日吉に下宿を借りるが、その大家の娘が、後に結婚する恵子夫人(※メイン画像の右:現・コーエーテクモ会長・襟川恵子)である。
大学在学中は学生運動が盛んな時期でもあり、まともに授業が行われないことも多かったという。一方、在学中は同大学のバンドサークル「KBRソサエティー」の17代目学生バンドに所属し、「ザ・カルア」のバンド名で1971年にベーシストとしてアルバムデビューしている。
1973年に大学卒業。家業の3代目社長になるべく、父親の取引先の会社に4年半勤務した後に、父の経営する染料工業薬品の販売会社に転職するも、このころ繊維産業は安い輸入品に押されて下降線を辿っており廃業を余儀なくされる。
1980年、誕生日に恵子夫人よりパソコン(シャープMZ-80C)をプレゼントされると独学でプログラムを勉強し、昼は財務管理ソフト、夜はゲームを自作する日々を送る。
1981年10月、第1作『シミュレーションウォーゲーム 川中島の合戦』を通販すると、染料による年商の3倍の年商を得る。
1983年3月、『信長の野望』を発売し大ヒット。これを機にソフト開発専業の会社に転じる。また、この頃から夫人の発案で、クリエイター名として”シブサワ・コウ”の名義を使用し始める。
1990年、RPGとシミュレーションゲームを併せた「リコエイションゲーム」というシリーズを立ち上げ、その第1作『大航海時代』より”フクザワ・エイジ”の名義を用いる。
1999年、社長職を恵子夫人に譲り会長に就任。ゲーム開発に専念する。
2009年、テクモとの経営統合によりコーエーテクモゲームスが設立されると、翌年には同社の社長として経営に復帰する。