本名:角三男。三男であることにコンプレックスがあったため1988年に「光男」、90年から「盈男」に登録名を変更している。
米子工業高、三菱重工三原から1976年ドラフト3位で読売ジャイアンツ入団。1年目に新人王を獲得し頭角を現し、課題点だった制球力の悪さもオーバースローからサイドスローへ転向したことで克服。1981年に最優秀救援投手のタイトルを獲得したことでリリーフエースとして開花。
1989年途中、日本ハムファイターズに無償トレード移籍。1992年小川淳二とのトレードでヤクルトスワローズ移籍。46試合に登板するなどリーグ優勝に貢献するも同年で引退。野村克也監督は99セーブでの引退を悔やんだが当人は100SPで満足と語った。
1995年ヤクルトコーチ、1997年巨人コーチ。
長男の一晃氏、次男の晃多氏も野球選手となり、特に晃多氏は2008年に育成ドラフト3位で千葉ロッテマリーンズに入団した。