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那須川将大

なすかわまさひろ

那須川将大は、北海道登別市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(左サイドバック)。既婚。
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概要編集

1986年12月29日生まれ。

小学校時代、中学校時代といずれも全国大会出場を経験し[3]、中学校卒業後は青森山田高校に進学。プロクラブへのアピールの場と考えていた高校3年次の全国高等学校サッカー選手権大会開催前に骨折し、高校最後の大会に出場することが出来なかった。高校卒業後は中京大学に進学し、体育会サッカー部に入部。左サイドパックとしてプレーし、4年次には主将を務めた。3年次には同年度の全日本大学選手権で3位の成績を修めるなど、高校時代の鬱憤を晴らす活躍を見せた。

2009年に東京ヴェルディに入団。元日本代表の服部年宏とポジションを争いルーキーながら23試合に出場したが、クラブの経営難により2010年は栃木SCへ期限付き移籍。入江利和とポジションを争い14試合に出場した。2011年は栃木に完全移籍し、27試合に出場した。2012年、同僚の大久保裕樹と共に徳島ヴォルティスに完全移籍。同年はリーグ戦36試合出場、出場時間3,184分といずれも自己最多の数値をマークした。3年目の2014年には自身初のJ1リーグでのプレーを経験した。

2015年、松本山雅FCへ完全移籍。2016年11月に右第5中足骨の疲労骨折により戦線離脱。翌2017年10月の千葉戦で復帰し、同試合含め最終節までの全6試合に先発出場を果たしたが、同年を以て松本との契約が満了になり退団した。

2018年、大分トリニータに完全移籍。8月5日の第27節・新潟戦では、前半32分にクロス気味のシュート、自称「シュータリング」を放ち先制点となるゴールを記録した。同シーズン限りで契約満了により大分を退団。同年12月13日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した。

2019年、松本に2年ぶりに加入。同年7月に藤枝MYFCへ完全移籍。

2021年を以て現役を引退。2022年より、鹿島アントラーズつくばジュニアユースのコーチに就任した。また同年6月15日 - 6月19日にかけて行われたJFAエリートプログラムU-13のトレーニングキャンプにコーチとして帯同した。

エピソード編集

大学時代に体育の教員免許を取得している。

2011年9月に入籍を発表した。

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