阪神電気鉄道初の大型車にして高性能車両である。小型車ばかりだった阪神の輸送力増強に貢献し、阪神の急行系車両の雛形を作った。
本記事では、改造後の3061形+3561形についても解説する。
デビュー前
戦前に大阪梅田と神戸市岩屋から元町までの地下線が開通し、大型車の乗り入れが可能な構造になった阪神本線だったが、当時の阪神は路面電車に毛の生えた14m級小型車両が主力と同時に、台車の強度の関係から大型車体載せ替えが不可能であった。
そのまま、第二次世界大戦後を迎えた。
登場背景
戦後の混乱も落ち着き、阪神は国鉄東海道本線と阪急神戸線に対抗すべく、大型高性能車両の導入が計画された。
優等列車用(主に特急)には本形式が、駅間距離が短い普通列車用にはジェットカーがそれぞれ計画され、3011形は1954年に特急用としてデビューした。
高性能車両としては京阪1800系に先を越されたが、同形式は在来車の外観のままだった為インパクトに欠けていた。
本形式は卵形断面と前面二枚窓と、マルーンにクリームのツートンカラーで、同年デビューした営団地下鉄300形や東急5000系(初代)と共に斬新なインパクトを与えた。
内装
先頭車2両と中間車1両の3両編成で5編成全15両が製造された。2扉車かつ扉間に固定式ボックスシートが配置されていたのは京急600形(2代)、神戸電鉄300系1次車、西鉄1000形と共通のレイアウトでもあり、梅田〜三宮間ノンストップ29分の特急をメインに運用された。
現実に翻弄され、3061+3561形へ改造
増え続ける乗客に耐え切れず、昭和30年代には遂にノンストップ運転を断念。後に新造された3301形と3501形は3扉ロングシートとなり、3011形自体も1964年には遂にオールロングシート化・先頭車の前面貫通化の改造に踏み切り、3061形+3561形に改番。急行系・赤胴車のグループに編入された。
改造当初は2扉車のままだったが、全車3扉化と冷房工事を行った。
2両ユニット×7本体制(先頭車+中間車のユニット、1本のみ両方が先頭車)へ整理されたため、余剰中間車1両(3021)は3扉へ改造の上7801形へ編入、7922号車に改番された。
終焉
1980年代には老朽化が進み、8000系への置き換えが決まった。
両方が先頭車の1本・3567・3568号車のユニットについては、晩年は西大阪線のローカル運用に従事していたが、西大阪線特急運用中に乗客の死亡事故を起こし裁判の証拠物件として一時保留車に。当該編成が3061形+3561形の中で最後まで残り、1989年にさよなら運転が行われた。
7922号車も翌1990年にひっそり姿を消した。
余談
長年阪神ではクロスシートはタブー視されていたが、2001年にデビューした9300系では(中間車のみながら)転換クロスシートが復活。8000系もリニューアル工事で(一部編成ではあるが)転換クロスシートが設置された。
7801・7901・3521形を界磁チョッパ制御の3000系に改造した際に、7901形を改造した二代目3011と3012が登場している。前述の7922(元3021)の件も併せると、3011形と7901形はお互いに形式変更を伴う編入改造をした関係である。