概要
渡来氏族の高向氏に生まれる。
小野妹子に同行する留学生として聖徳太子が選んだと伝えられており、608年に南淵請安や旻らと共に隋へ渡来する。
乙巳の変後の645年に国博士になる。
646年に遣新羅使として新羅に赴き、新羅から任那への調を廃止させる代わりに、新羅側が人質を差し出す外交交渉を取りまとめた。647年に新羅の王子・金春秋を人質にして伴い、帰国。
649年に八省百官(官制機構)を定める。
654年に遣唐使の押使として唐に赴くこととなる。長安に至って3代目皇帝・高宗に謁見するものの病気によって長安で死去。
余談
- 河内長野市では、玄理をモデルにしたくろまろくんというマスコットが存在する。