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概要編集

本名は魯達(ろ たつ)。天孤星の生まれ変わりで、序列は梁山泊第十三位。あだ名は「花和尚(かおしょう)」で、「花」は刺青の事。全身に刺青があったことが由来である。筋肉隆々の巨漢でヒゲ面が特徴。トレードマークは得物の禅杖または錫杖。


暴れん坊役人編集

魯達(出家前なのでこう呼ぶ)は、渭水経略府と言う街の提轄(警備業務を行う役人)として登場する。少華山の朱武らと関わったことで官憲と大立回りの末に逐電を余儀なくされた史進と茶店で出会って仲良くなり、彼の棒術の師匠でもあった李忠を無理やり誘って酒盛りをしていた「潘料亭」で泣いている父娘に出会う。金翠蓮と名乗った娘に事情を聞いてみると、鄭屠と言う肉屋を経営する富豪から因縁をつけられて困っているのだと言われる。


それを聞いて同情した魯達は金翠蓮と彼女の老父をかわいそうに思い、史進と李忠にもお金を出して貰って二人を逃がす。さらに、妨害してきた宿屋の店員を張り飛ばした上で肉屋に乗りこみ、「お主の手で赤身・脂身・軟骨を切り刻んでおくれ」と鄭屠にうるさく注文をして困らせ、時間稼ぎを行う。腹を立てた鄭屠が包丁を振り回すと魯達は素手で応戦、鼻・目・こめかみに一発ずつ鉄拳制裁を行った結果、相手はとうとう死んでしまった。当然ながら逮捕状が出てしまい誰も差し入れをしてくれない身である魯達(※1)は逃亡を決意する。


出家と騒動編集

代州と言う町についた魯達は、字が読めない(※2)ので立札の前でお触れを読んでいる人の群れに入ると、自分を呼び留める人がいた。金翠蓮の父で、立札には魯達を指名手配するお触れが貼ってあったのだった。新天地に辿り着いた金老人は知人が仲人をしてくれたおかげで娘が趙と言う富裕な男性の側室になり、長者の義父として楽しい老後を過ごしていた。恩返しをと願う金父娘と、魯達を慕っていた趙の勧めで彼は五台山で出家し、『魯智深』と名乗ることとなる。


だが、魯智深は俗人時代の癖…酒好きで喧嘩っ早い性格が抜けきらなかった。一度目は寺院にお酒を売りに来た農民に暴行して酒を奪い、二度目は犬肉(※3)をアテにして大酒を飲んで大暴れ、いずれも寺の門番や僧侶に手ひどい怪我をさせている。それには住職の智真長老も庇いきれず、とうとう魯智深を東京開封府(読みは「とうけいかいほうふ」。北宋の首都)の寺へと追放・左遷することとなった。なお、トレードマークの杖はこの時、戒刀と共に五台山近郊の職人に作ってもらったもの(※4)。


道中、村長の娘を嫁によこせと迫って来た桃花山の盗賊・周通を懲らしめる(※5)。魯智深のとばっちりを受けて逃亡中に周通の兄貴分となっていた李忠と再会、その後路銀が尽き追い剥ぎに身を落としていた史進と再会、その後二人で気の毒な僧侶や村娘をいじめていた悪辣な行者コンビを倒す活躍をした。


林冲との出会い編集

魯智深は、辿り着いた大相国寺の菜園でいたずらをするチンピラをやっつけて改心させる。酒席で柳を引き抜き、六十二斤(約37㎏)の杖を振り回す怪力を見せたところ、林冲と意気投合する。林冲が妻に横恋慕した高衙内(高俅の養子)によって陥れられた時、護送役の薛覇と董超の悪巧みを見破って林冲を流刑地に送り届けた。以後、魯智深と林冲は無二の親友となって義賊としての生涯を歩んでいく。


その後、激怒した高俅に兵を差し向けられ菜園を燃やして逃走。途中、追い剥ぎ酒屋(※6)で孫二娘を懲らしめ、のちその夫の張青共々意気投合した。そして二竜山に辿り着くも妨害してきた地元の山賊坊主・鄧龍は彼の入山を拒否。思案に暮れた魯智深は晁蓋らの妨害により任務を失敗し逃亡中の楊志と遭遇し一戦の末に意気投合、さらに林冲の弟子である曹正と出会い三人で結託して鄧龍を撲殺し、寺と山を山塞として頂戴してしまう。その後武松施恩の義兄弟、追い剥ぎ酒屋を畳んだ張青と孫二娘も合流し、魯智深は一大勢力を築く。


梁山泊入り、四寇討伐編集

一見すると梁山泊と縁もないように見えた魯智深だが、転機はある時に訪れた。官軍の猛者である呼延灼が梁山攻めにしくじり、その汚名をそそぐべく青州知事の慕容彦達と結託して桃花山に攻め寄せ、魯智深は援軍として参加。結果、梁山泊と桃花・二竜・白虎山の豪傑は連合して青州を陥落させる。史進を救おうと華州城に乗りこむが捕虜になってしまい、梁山泊に救われる一面も。その後も北京大名府・曾頭市・東昌府などで転戦する。


108星集結後、歩軍頭領となり、南側第二の関門を守備。招安後の討伐後に師匠の智真長老に再会。「潮を聴いて円し 信を見て寂す」という言葉を授けられた。その後も田虎王慶方臘の討伐戦に従軍、特に最後の戦いでは敵の首魁である方臘を捕まえて大手柄を得る。


潮を聴いて円し 信を見て寂す編集

方臘討伐後に滞在中の杭州六和寺において銭塘江(浙江省の河)の潮信(海嘯、すなわち潮が逆流する音)を聞いた時、魯智深はその轟音を敵襲と勘違いするが、六和寺の僧からそれが潮信という現象であることを聞かされる。以前、智真長老から授かった言葉を思い出した魯智深は「潮信を見聞きした以上円寂しなければならないが、円寂とはどういう意味か」と問うと、僧は「それは僧が死ぬことである」と教えたのだった。そして自分の死期を悟った魯智深は身を清め座禅を組んで瞑想したまま入寂した。


(※1)当時、捕まった容疑者には食事が出されなかった説が存在する。水滸伝では林冲や武松などが軽い禁固刑や取り調べを受けたり、護送されている最中に支持者がお弁当や食事代を持ってくるシーンが極めて多い。また賄賂がマナー同然にやり取りされており、囚人がまともな待遇を手に入れるのにもそれなりの蓄えが必要だった。

(※2)中国では伝統的に武官兵士は地位が低く、無学でも就職できることがあった。朝ではその傾向が殊に強かった。同時期の日本で権力を握った武士をはじめ、王朝を揺るがしたマムルーク(エジプト)や武臣政権(高麗)とは一線を画する。ただし梁山泊時代は普通に読み書きをこなしている。

(※3)珍しく詳細な描写が存在する料理で、「煮込んだ犬肉にニンニクおろし、もしくはニンニクの入った味噌」をつけたもの。犬肉・ニンニク共に中国仏教ではタブー。言うまでも無く仏教の僧侶は酒も駄目。なお、この場面では「牛肉ぐらいなら食べる生臭坊主も居るだろうと思っていた居酒屋の主も、まさか、いくら生臭坊主でも犬肉を食う奴が居るとは思わなかった」と言った描写がされている。

(※4)当初は百斤の杖を希望したが、関羽青龍偃月刀でさえ八十一斤だと窘められ水磨仕上げの特注品で作るからと六十二斤で妥協した。

(※5)素っ裸でベッドに潜り、周通をぶん殴っている。原本の挿絵では肌脱ぎ、もしくは下着姿であり、全裸ではない。

(※6)魯智深を眠らせて身包み剥いだ上で殺し、肉まんの具にしようとした。


関連タグ編集

水滸伝 僧侶 破戒僧

史進 林冲 武松 楊志

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