概要
福岡市営地下鉄が建設計画時、国鉄筑肥線への乗り入れが計画され最終的にOKが出たので、それに合わせて乗り入れ対応車両を作らねばならなかった。
そこで201系の車体に105系の前面、103系1200番台の機器を合わせた車両として国鉄が開発。前面が103系と違い、105系や119系に類似していたので、よく別形式と勘違いされるが103系である(特に119系とはカラーリングも酷似していた)。1982年製造。
当時の国鉄の車両配置パターンから考えると、首都圏に新車を導入してそれで捻出しなかったのか?と思われがちだが(同時期には203系も登場している)、実は乗り入れ先である福岡市地下鉄の車両(1000系)の設計を担当したのは国鉄である。そのため、国鉄の面子的にも中古車でお茶を濁すわけにはゆかなかったのである。
筑肥線内は駅間距離が長いうえに運転本数が少なく、回生ブレーキの効率が悪いことから、103系の機器を用いた車両となったという経緯がある。
塗装も玄界灘をイメージした水色にクリーム帯という独自のものとなった。
九州島内の国鉄車両では唯一の直流電車である(後にJR九州が同線向けに直流電車の303系や305系を製造)。
導入後の変化
- 登場当初は全て6両貫通編成であったが、後に在籍する6両編成9本のうちの4本が3両編成+3両編成に分割される改造を受けている。これは筑肥線に乗り入れる福岡市営地下鉄の車輌が筑前前原止まりになった都合上、運転本数を減らさないための措置である。3両編成はワンマン運転を実施。
- 1995年からは303系に準じた現在の塗装に変更され、さらにローカル運用を考慮して、トイレの取り付け改造も行われた。
- 6両貫通編成については305系に置き換えられ地下鉄直通運用からは完全撤退、以後は3両編成による筑前前原~西唐津間のみでの運用となっている。直通列車は地下鉄線内はワンマン運転を行っていたが、103系に限り最後まで車掌乗務のツーマン運転だった。
- 2023年8月には筑肥線電化&地下鉄乗り入れ40周年を記念して、当時の水色にクリーム帯の復刻塗装が登場した。