概要
戦車開発国スウェーデン
スウェーデンは第一次世界大戦前までは基礎工業力の発達が遅れていた国であった。しかし、第一次世界大戦後にドイツの戦車技術が技術者とともにスウェーデンに流出または避難していったことがその後の基礎工業力を高める大きな要因となる。1920年代にドイツの援助を受けて設立されたランツベルグ社はそんなドイツの戦車技術の避難策の一つとしての側面を持っており、第二次世界大戦を戦うドイツのI号戦車及びII号戦車の製造にはランツベルグ社の技術陣が協力し生産されていった。
開発経緯
第二次世界大戦前に開発されたランツベルグL-60はハンガリー、アイルランド等に輸出された優秀な戦車であったが、第二次世界大戦の激烈な戦車戦による戦車の急速な進化にスウェーデンは乗り遅れていた。スウェーデン軍は20t級の戦車を新たに開発するべきとし、それに対しランツベルグ社はハンガリー軍向けに一定の開発が終わっていた『Lago』といわれる中戦車を基に開発を進めることを提案した。尚、ハンガリー軍はチェコのシュコダ社のT-21中戦車(後のトゥラーン中戦車)をドイツの提案により正式採用したため、Lagoの計画自体中止されていた。
開発と生産
本車の主砲はスウェーデン戦車としては初となる。75㎜砲を搭載し、車体と砲塔もlagoから大型化された。開発中の1941年11月にスウェーデン軍は『strv.m/42』として正式採用し、第一ロットとして100輌の発注をした。1942年1月には60輌の追加発注をしており、この60輌はボルボ社にライセンス生産されることとなっていた。その後も追加発注され合計で282両の発注がなされている。しかし、量産体制がなかなか整わず量産1号車が引き渡されたのは1943年4月のことであり最終号車が引き渡されたのは1945年1月であった。
車体の形式
本車のエンジンはスカニア・バビスエンジンとボルボエンジンの二種類があり、スカニア・バビスエンジンがT、ボルボエンジンがEの表記され、トランスミッションも油圧式と電動式の二種類があり、油圧式がH、電動式がMの表記がある。前述のエンジンの表記と組み合わせるとTM型、TH型、EH型、の三種類が本車には存在する。
戦後の活躍
本車は1950年代にイギリスのセンチュリオンと入れ替わる形で第一線から退くこととなる。しかし、1957年より歩兵支援戦車としてEH型の改修が行われ『Ikv73』に名称が変更され、TH型とTV型が75㎜長砲身に強化されそれに伴い砲塔の大型化した『strv74』へ改修されている。