秋田朝日放送
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あきたあさひほうそう
秋田県を放送エリアとするテレビ局。
秋田県三番目のテレビ局として1992年10月に開局した。いわゆる平成新局の一つ。
略称AAB。
秋田県の民放3局目はTBS系列とテレビ朝日系列が候補にあったが、TBSは近隣の青森県、岩手県、山形県と比べて経済規模が小さいことから秋田県での系列局の開局に難色を示したためにTBS系での開局を断念し、テレビ朝日系列局として開局した。
秋田県の民放3局目がテレビ朝日系列局になったのは、三浦甲子二(元テレビ朝日専務)が秋田県仁賀保町(現・にかほ市)出身(但し出生地は長崎県)だったからとも言われている。
当時の秋田県の政財界は民放3局目の開局には消極的で、佐々木喜久治秋田県知事(当時)も「秋田県の民放3局目の開局は時期尚早」と県議会で答弁していたほどだった。
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