昭和天皇の在位期間であった昭和元年(西暦1926年)12月25日から昭和64年1月7日までの64年間(正確には62年と2週間)に建てられた元号。
日本や中国などの元号の中ではもっとも長く続いた。 この時代を昭和時代という。
また、昭和天皇の誕生日である4月29日は昭和の日という祭日及び記念日となっている。
昭和
「昭和」という元号の典拠は『書経』堯典の「百姓昭明にして、萬邦を協和す」。
「民百姓を教化して、温和でかつ明らかな徳をもたせる。民百姓が明らかなよき徳をもつと、さらに拡充して、天下の国々を協調和合させる。ついには全世界の人々みな善人と化し、和らぎ合うに至る」という意味の元号である。
他の候補
宮内省では研究に研究を重ねて、「神化」(じんか)「元化」(げんか)「昭和」(しょうわ)「神和」(じんな)「同和」(どうわ)「継明」(けいめい)「順明」(じゅんめい)「明保」(めいほう)「寛安」(かんあん)「元安」(げんあん)の他、「大造」「大応」「順応」「恵和」「敬和」「敦和」「休和」「洽和」「感和」「観化」「敦化」「景化」「興化」「純化」「皇化」「久化」「元長」「昭大」「亨正」「応正」「化光」「天光」「大光」「通同」「天休」「安久」「久中」「咸中」「天道」「知臨」「咸臨」「昭徳」「化成」「光亨」「通明」「平明」「大貞」などの案が作成され、大正15年12月8日時点で「昭和」を最終候補とし、「元化」「同和」が参考とされた。
一方、内閣では別に「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」の案が作成されたが、これらは慎重精査して早くに姿を消し、どれも有力候補ではなかった。
上治?
枢密院議長倉富勇三郎は、「昭和」の典拠が『書経』堯典であることに対して異論を出し、『易経』を典拠に「上治」という案を出したともいわれている。「盛徳の天子が上位について経綸を行い下々の人民を治める」の意味であると思われる。事実は不明だが、他には異論はなく「昭和」に決定した。しかも調べたところ、「上治」は大理国で使用されたことがあった。
昭和?章和?
また当時、昭和の「昭」字は一般的ではなかったため、宮内大臣一木喜徳郎が「章和」の方がよいが前漢に使用例があるようだ、と語ったという。「昭和」の出典の同じ一連の個所に「百姓を平章す」(九族既睦平章百姓。百姓昭明協和萬邦)とあるために出た考えだと思われる。
典拠
- 昭和
『書経』堯典、「克明俊徳、以親九族、九族既睦、平章百姓、百姓昭明、協和萬邦、黎民於変時雍」
- 元化
『易経』乾、「大哉乾元、萬物資始、(中略)乾道変化、各正性命」
『感遇』(陳子昂詩)「仲尼探元化」
『春賦』(李邕賦)「偉元化之工作」
『江寧楊利物画讃』(李白詩)「筆鼓元化、形分自然」
- 同和
『禮記』楽記、「大楽与天地同和」
『国語』「居同楽、行同和」
『呉越春秋』「君臣同和、福祐千億」
『陳公九錫文』(徐陵文)「萬国同和」
昭和時代
「昭和」の元号を建てた時代の大要は以下の通りである。
前期
昭和初期の日本は、大正以来の経済が右肩上がりに成長し、国民全体が担い手となった様々な市民文化が都市から地方まで普及し、欧米文化と比肩できる日本の世界的文化が隆盛を極め、作曲家佐々紅華、歌姫藤本二三吉、作家田河水泡、映画監督山中貞雄、女優高杉早苗など、世界に誇る文化人は枚挙に暇がなかった。しかし外国の思想がますます入って道徳的混乱も少なくなく、西洋崇拝のゆきすぎで近代的文化が行き詰った。
対外的には国際協調外交を推進したが、国際情勢は次第に厳しくなり、日本が危うくなってきた。自主外交の道を歩むこととなった日本は、新文化建設のため第二次世界大戦(日支事変、太平洋戦争、大東亜戦争)を戦って、世界の強国として歴史的な活躍をした。日本人は日本のためというよりもむしろ東アジア諸国のためにその役割を果たしたが、最終的に日本は敗戦国になり下がり、歴史上初めて外国に占領されて塗炭の苦しみを味わうことになる。
中期
敗戦後はヤルタ・ポツダム体制下で出発し、降伏条件を乗り越える努力が始まった。 アメリカ合衆国を中心とした連合国の苛酷な統治下で、日本国憲法の制定などを始めとした様々な改革が強制され、日本の骨格が歪められた。日本人は奴隷にもされず、飢え死にもしなかった一方で、民主主義が叫ばれて、労働組合の結成、その横行、暴力沙汰が甚だしい世相となった。昭和20年代のきびしい占領下に自由はなかった。
対外的には、台湾や朝鮮半島を手放して肩の荷を下ろした日本は、植民地問題で有利な立場に立ち、また原爆被爆国としても唯一絶対の発言力を持つこととなった。
独立後、冷戦の中で西側陣営に属した日本は、アメリカ合衆国を主な輸出市場として高度経済成長を遂げた。しかし依然として社会の現状はきわめて不安定であり、主権在民をふりかざして社会全体にいじめが横行し、昭和30年代以降は暴力とテロに揺れる深刻な時代であった。 戦前の道徳教育が否定され、アメリカの影響を受け続けた昭和40年代頃には、「カッとなったから」「暑さがひどいから」という理由ですぐ殺人を犯す国民性に様変わりしていた。
それでも日本再建の努力は続けられ、社会福祉が重視されて生活水準が向上し、ノーベル物理学賞の受賞があり、昭和39年には東京でオリンピック大会が開催された。日本は滅びるどころか、世界に誇る経済発展を遂げ、昭和43年には世界第2位の経済大国へとなる。
手塚治虫や石ノ森章太郎の漫画や、黒澤明の邦画、美空ひばりの流行歌などの文化が生まれている。
後期
中東戦争をきっかけに起こった、昭和48年のオイルショックによりエネルギーを石油に依存していた日本は混乱に陥り、高度経済成長期は終わった。いくつかの業種は衰退したが、欧米各国が不況に悩まされる中でハイテク産業・サービス業への構造転換を転換を成功させ、その後はバブル期まで安定した成長を続けた。最末期には、日本との貿易不均衡に悩んだアメリカ合衆国からの外圧が発端となった資産高騰により、バブル経済に突入することとなる。
日本人は長寿に恵まれて、敗戦にもかかわらず戦前の優れた伝統がその後ももちこたえた。伊勢神宮の式年遷宮が民間の力で斎行され、祝祭日やそれを貫く元号が護られ、平成の新時代へと受け継がれた。
繁栄、戦争、敗戦、占領、復興という60余年の間に様々な事が起こったこの時代は、様々な世代から一種の感慨を込めて「激動の昭和」と呼ばれる。
Pixivでのイメージ
昭和の日本は、戦前は外国の美点と自国の美点とを融合して世界に誇る市民文化を創造し、戦中はジャズの新境地を開拓するなどの工夫による国風文化が花開いた。また戦後は政治・経済・文化のいずれの面でもアメリカ合衆国の圧倒的影響下に置かれた。
映画、テレビ番組、音楽、漫画、アニメ、ゲームといった現代においても親しまれている大衆文化が隆盛したのも戦前・戦中・戦後を通じてこの時代であるが、多くはアメリカから流入した文化が発端となっている。
「昭和」という時代は様々なことがあり、また多くの文化が誕生・隆盛し、そして長く続いたがゆえに多くの世代を生み出した。東京オリンピック、大阪万博、新幹線、東京タワーなど、この時代を象徴するものは数多い。主に昭和30年代以降の高度経済成長期から、バブルが始まる前の昭和50年代の安定成長期までを中心として、一種のノスタルジーとして昭和時代を懐かしむ人々が多い。
pixivにおいては、昭和時代をモチーフにしたイラストに付くタグとして使われる。
描き手本人にとって懐かしい年代を描いたイラストから、描き手の生まれる前と思われる戦前~昭和30年代辺りを描いたイラストまで様々。
関連タグ
レトロ(タグまとめ有り) 昭和レトロ 昭和モダン あふれ出る昭和臭