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多神教の編集履歴

2015/10/08 21:41:06 版

編集内容:アイヌ差別は宗教的なものは関係ないと思う。

解説

対義語は一柱の神を信仰する一神教

多くの神々が崇拝されるので、信仰のあり方が同じ宗教の中でも多数存在するのが特徴である。なお仏教も基本的には多神教とされているが、汎神論または無神論的な宗教であるという見解もあり、議論が分かれている部分もある。

特徴

多神教の中の一神教性

バリの「ワヤン」とよばれる人形劇は、「絶対的な唯一神が精神の奥底にいる一方で、神様とかグールみたいなのとか人間がさまざまな愚行を行う」と言う器用な世界観を持つ。

宗教学用語としての「一神教」には唯一神教以外の、世界観上では神が複数存在する宗教もカテゴライズされている。

他宗教・他神話との習合

 征服者が、その辺を征服した際に体系化がされる、で征服する方は大体野郎の神様拝んで、される方は普通女神様拝んでるので、ギリシャ神話の主神ゼウスとか、ケルト神話の主神ダグダのように、トップの神様は「そこに、女性の何かがいる限り 俺は挑む」というアルピニスト絶倫大将の面を持つ。

 エジプト神話は、各地の科の形をした神々が「遠くからの神」と言う形で同一のものとされるなど体系化がされてるはずだけど、南ヘルモポリスで拝まれていたメスうさぎの太陽神ウヌウは、多分スルー。なお、やはりパンテオンには入っていない、ラシャプウと言うメソポタミアの辺で拝まれていた、爆炎と病気と戦争と外国で奴隷になった人の守護を司る神は、その辺からエジプトへ引っ張られて、奴隷になってる人だけの信仰から、当時のエジプト人、ファラオAも本尊にするくらいの信者を集めることになり、『旧約聖書』の「雅歌」でも「私の愛の炎(ラシャプウのヘブライ語訛であるレシェフ)はの炎」とか使われ、一時期はスペインまで信仰を広げていた。

 

 ブードゥー教は、アフリカ(西部)の各地方の神々を別々に拝んでいた、黒人がハイチ等へ奴隷として引っ張られて迫害もされたために、みんなで各神様の体系化をして、それを拝むことにしましょう、でそれを表向き「カトリックです」と言い張りましょうと出来たので、実は西アフリカの多神教。聖人なんとかはなんとかの神とする、本地垂迹思想のような状態なのだが、皮肉にも一応のパンテオンができている。

多神教は一神教より寛容か

多神教(の信者)が一神教(の信者)より寛容というわけではない。一神教だけでなく多神教でも他の宗教や宗派の信者への迫害は起こっている。相手が一神教徒であるケースもある。

ローマによるエルサレム神殿破壊とゼウス神殿化計画(未遂)、中国・代の会昌の廃仏、日本の明治維新期の排仏毀釈、上座部仏教国ミャンマーにおけるイスラム教徒のロヒンギャ族弾圧、ヒンドゥー至上主義者による他宗教者襲撃などを例として挙げる事ができる。

「多神教」という言葉の用法

「一神教(的)」が唯一神教以外に対しても使われるように、「多神教(的)」という言葉も、多神教以外にも使われる。

多神教が無神論と呼ばれるケース

仏教は、経典に複数の神々が登場する。現存する経典で最も古い阿含経(アーガマ)でもそれは変わらない。

なお、仏陀の称号の一つに「天人師」がある。これは「神々と人間の師匠」という意味である。経典を信じる仏教徒の目線からは、仏教はそもそも神々の存在を前提とした宗教であると言える。

しかし、仏教は無神論とも呼ばれる。仏教は創造主(創造神)の存在を認めず、神々もまた迷える衆生とする。

神々のリストを共有するヒンドゥー教でも下位の神々は限界を持つとされるが、ヴィシュヌシヴァのような主神は絶対的な至高者とされる。しかし仏教では至高者(主宰神)としての神も認めない。

大乗仏教においても天部の神々は如来明王菩薩より下である。

古代多神教を近現代に復活させる新異教主義(ネオペイガニズム)の北欧神話版である「アサトル協会」は神話に登場する神(オーディンなど)の実在を認めず、あくまで自然の力や人間精神の象徴としている。

かつていた北欧神話の信者からすれば、彼らは無神論者であるのかもしれない。

一神教が多神教と呼ばれるケース

キリスト教で、カトリック正教会などで行う聖人崇敬をさして多神教(的)とする主張がある。聖人崇敬を行う教派・宗派では崇敬と崇拝は厳密に区別されている。

聖人崇敬多神教論者からすれば「崇敬と言いながら崇拝している」という非難である。

イスラム教でも聖者崇敬が行われているが、ムスリムの中にはこれを多神教とし非難する立場もある。主張だけに終わらず史跡・聖地の破壊まで行うグループも存在する。「ISIL(イスラム国)」は預言者ユヌス(ヨナ)の破壊した。

エホバの証人などは三位一体説を古代多神教の「三人組の神々」の影響を受けた多神教としている。

しかし、クリスチャンからエホバの証人のほうが多神教的だという批判もされている。

エホバの証人もまた聖書を聖典としているわけだが、新約聖書ではイエス・キリストは世界を創造する存在とされており、エホバの証人もこれを受け入れている。

しかし、神でないものに天地創造の力があるとする事は、神でないものが神の権能を持つとする事になる。

エホバの証人の見方だと、神としての力を持つ存在が父なる神とイエスの二柱が存在する事になる、というわけである。

宗教でないものが多神教と呼ばれるケース

神話上の神々や聖人でないものが多神教、多神崇拝と呼ばれる事がある。それは富のような物質、財産であったり、それらへの欲望エゴ、世俗主義やヒューマニズムといった思想や価値観であったりする。

社会や人心において神が占めるべき部分を、神でないものが占める、それを非難する文脈である。

ここでも、唯一神教にみられる、「(神でないものを神として、神のように扱う)偶像崇拝」という観念が深く関わっている。

関連タグ

信仰 宗教

 

神話

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