概要
時代劇や特撮など、多くのドラマや映画で悪役として活躍。代表的な役に、『仮面ライダー』のショッカー大幹部死神博士や、『星雲仮面マシンマン』のプロフェッサーKなど。
経歴
1926年1月2日、福岡県若松市(現:北九州市若松区)生まれ。2003年3月23日、同地で没。
旧制県立若松中学校(現:若松高等学校)、旧制官立第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)に進学。在学中に学徒出陣で陸軍に入隊。
復員後旧制東京帝国大学法学部に入学し、外交官を目指すが、片山・芦田・第二次吉田内閣の政治姿勢に失望し、文学と演劇に没頭。
のち東京帝大を退学し劇団俳優座に入団。1954年『オテロ』で初舞台。1958年に東宝と契約して映画界に進出。岡本喜八作品の常連となる一方、長身と端正な風貌から、時代劇やギャング映画、特撮(SF)などで悪役としても実績を積む。
代表的な役に、『殺人狂時代』の溝呂木省吾、『仮面ライダー』のショッカー大幹部死神博士、『星雲仮面マシンマン』のボス・プロフェッサーKなど。善玉役もこなし、こちらでは『マイティジャック』の火薬のスペシャリスト・村上譲、『宇宙鉄人キョーダイン』の海堂博士などがある。
人物
陸軍兵時代、長身を妬んだ上官の軍人に殴られ続けたことから軍隊嫌いの左翼になり、その延長線上でアナキスト(無政府主義者)となった。戦争を賛美する映画には、たとえ得意の悪役であっても出演拒否を貫き、80年代のテレビ番組のインタビューでは「国民年金の保険料など払ったことがない。いくら年を取っても国の世話にだけはなりたくない」と言い放っている。
スペインに心酔していたことでも有名。元々は60年代にフラメンコとファルーカ(スペインの民族音楽)を知ったのがきっかけで、『殺人狂時代』のBGMには天本が持ち込んだ私物のファルーカのレコードが使われている。また『星雲仮面マシンマン』では、当時雑誌『話の特集』の協賛で行っていた読者とのスペイン旅行のために一旦降板したが、作品もこれを取り入れ「戦いに疲れたのでスペインへ旅行に出る」という設定となった。演じたプロフェッサーKの衣装は、やはり天本の私物である。
国内でも、スペイン内戦で共和国側につき、フランコ政権によって殺害された詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカの朗読会を開くなど、近代スペイン文化の認知に貢献した。
生涯結婚せず、また持ち家を持たず、自宅(借家)が雨漏りで住めなくなってからは、近所のクリーニング屋の二階に無料で部屋を提供され、そこに住んでいた。
晩年、フジテレビ『平成教育委員会』の解答者としても出演し、ビートたけしらとのやり取りと、深い教養を伺わせる知識(理系になるとからっきしだったが)で視聴者を楽しませた。
しかし、司会の一人であった逸見政孝の闘病の末の死やそれ以前からテレビ業界に不信を持っていた事も遠因となって回答者を降板している。
死神博士について
昔かたぎの役者で、2003年に没するまでファンを大切にしていた。ファンとすれ違った際に、「死神博士!?」と叫ばれ、「左様」と答えたというエピソードもある。死神博士の鞭もまた、「いつかこういう機会があると思って」買っていた天本の私物だった(講談社『仮面ライダーOfficial Magazine』)
また自身のスケジュールが合わなくなったため死神博士が作中にショッカーの南米支部に異動ということで一時退場となった(その後も68話での決着も含め3回出演している)
一方で、仮面ライダーに熱中している大人(いわゆるオタクや大きいお友達)に対しては、「世の中にはもっと大切なものがある」と否定的な見解を持っていた。
死去から2年後の2005年、映画『仮面ライダー THE FIRST』で、デジタル出演という形で、死神博士を思わせるショッカー幹部が吹き替えで作中に出演した(映像は『仮面ライダー』本編の流用だが、劇中では一度も「死神博士」とは呼称されていない。なお、声を担当したのは声優の丸山詠二氏)。
主な出演作品
ウルトラマンコスモス(トマノ) 特撮の最後の出演作であった。
* 氏の没後は、前述の仮面ライダーthefirstでの映像流用によるデジタル出演で本人が出演。
没後の代役は正義の系譜では池水通洋、オールライダー対大ショッカーではある人物が洗脳されたという形で石橋蓮司が担当。