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学生運動の編集履歴

2018-05-31 12:59:22 バージョン

学生運動

がくせいうんどう

学生運動は学生が行う社会運動のこと。主に社会的・政治的な運動を指すものの広義には文化運動も含めることがある。

主に「学生運動」として想起されるのは1960年代後半にピークを迎えた新左翼系の活動であるが、当時は旧左翼系(日本共産党系、社会党系)、右派系(民族派学生組織)の学生運動も活発に行われ、現在の日本の政治活動家(右派・左派の双方)には運動家歴のある者も少なくない。


概要

この運動は特に1968年をピークに、フランスアメリカ合衆国ドイツイタリア日本などで世界的な高揚を見せた。


 日本におけるこの活動は大正時代、ちょうど大正デモクラシー(政治社会文化の各方面で民主主義の発展、自由主義的な運動、風潮および思潮の総称)の時期に始まった。その後昭和時代になると社会の締め付けにより沈静化したものの、戦後になって盛んになった。


昭和35年の安保闘争(昭和27年に締結された日米安保条約に変わる新たな条約にたいし反対する運動)、昭和43年から昭和45年の全共闘運動(実力闘争として行われた際学部や団体の枠を超えて活動した運動)・大学紛争(学費の値上げなど、大学の体制や制度改革等に対し学生が反対して発生した紛争)に盛り上がりを見せた。(このことから団塊の世代は「全共闘世代」と呼ばれる事があるが、上述のように旧左翼や民族派として全共闘と対立した学生運動家も多かったほか、団塊の世代の学生の大半は政治とは関わりを持たない学生=ノンポリであった。当時の社会的風潮として学生運動に理解を示す向きが多かったことは事実であるが、それはこの世代に限ったことではない)


ところが1960年代に一気に膨れ上がった流れは、1970年代に入ると急速に衰退した。これは新左翼系勢力が過度な暴力を用いたことにより、それまで同情的だった一般社会の支持が失われたことが主な原因で、それ以降現在に至るまで下火の状態が続いている。


なお、対立関係にあった右派系・旧左翼系組織の運動の盛り上がりも新左翼系組織の衰退に伴い下火になり、日本社会の貧困化・右傾化が顕著になった2000年代頃まで「若者の政治離れ」と言われる状態が長く続いていた。


活動家

学生運動では、新左翼系・旧左翼系・右派系のいずれも似たような運動手法をとっていた。


運動の中心となるのは学生全体からみれば少数である活動家、あるいは学生運動家と呼ばれる学生である。学生が設立した組織)や様々なサークル(社研、すなわち社会研究サークル)などを拠点とし、その中で討論や学習をし、自らの主張を煽動するパンフレット(アジビラ)やポスター、立て看板(タテカン)などを作製し、講義前のクラスや昼休みの広場などで自らの主張や学校や社会における問題など演説やビラの配布やカンパのお願いなどを行った。


 何らかの問題において通常大学問題や政治問題に関心のない一般の学生も運動に加わり、全学的に運動が高揚する場合であり、そうなればデモ授業ボイコット(ストライキ)、大衆団交(学生の連合体との団体交渉)、果てはバリケードによる建物占拠などが行われた。


また、対立関係にある学生運動団体同士が、ゲバ棒を片手に暴力的な衝突を繰り返していた。


学生運動家のその後

 ところが、これらの運動が挫折したその後、その中でも特に過激な活動を行っていた新左翼系活動家は人生において、様々な困難にぶち当たった。活動をやりすぎて逮捕され退学となったり(安彦良和など)、そうならなくても前科がついたり、無駄有名となってしまった彼らは、大学を出ていた(当時は大学に行く人も少なく、一般的にはエリートとされていた)にもかかわらず就職できなかったりするようになった。また、その挫折感を企業への忠誠心に転嫁し、企業戦士に転じていった者も多いといわれる。


 民族派系学生組織に所属していた活動家は、保守系政治家とのパイプを活かし政界入りしたり(井脇ノブ子など)、政商的な実業家(住田良能など)に転じたりした。「日本会議」「新しい歴史教科書をつくる会」といった右派系市民団体の中核メンバーの中にも、学生運動家歴のある者(民族派からの継続、新左翼からの転向者の双方)は少なくない。


なお、当時の関係者は元警察官、元学生共に「あそこまでとは行かなくとも、最近はなんだかんだ言っておとなし過ぎるのでもう少し活気が欲しい」とのことだが、彼らの就職が仕事を選ばなければ比較的容易であった当時と異なり、現代では一度でもケチがつくと即就職が困難になる時代故、若者の大半は政治的行動は控えざるをえないという事情もあり、かつての熱気は戻らないだろう。


近年SEALDsをはじめとする学生たちの政治運動が注目を浴びているが、時代背景から「お行儀が良く」、その主張も「立憲主義を守れ」「平和主義を守れ」というある種「保守的」なベクトルの運動であるため、その趣は往時の学生運動とは大いに異なる。


余談

ガス銃

暴徒化した学生に対し機動隊は制圧に催涙弾を使用していたが、この催涙ガスをレモンの汁が中和するという噂が流れ、学生は輪切りにしたレモンを常備していた。

しかし、学生運動に参加経験のあるビートたけし「レモンの汁が目に入って痛いからどっちにしろ涙が出る」と語っている。また、催涙弾は発射されてからガスが噴出するまで時間がかかるため、投げ返された機動隊がガスを浴びて苦しむという場面もあったという。

鬼の四機

機動隊相手に物怖じせず火炎瓶や石を投げまくっていた学生たちだが、唯一戦うことを恐れた相手が「鬼の四機」「泣く子も黙る四機動」の異名を持つ警視庁第四機動隊である。学生たちは四機が現れるや否や戦意喪失し逃げ出したという。東大安田講堂事件でも、「鬼の四機が来たぞ!」と指揮官が叫ぶや、一斉に抵抗をやめたという。

そのため学生の間では悪名高かったが、一方で入隊志願者は多かった。


学生運動を描いた作品

いちご白書(ジェームズ・クネンによるノンフィクション。コロンビア大学の学生運動に関して記述され、フィクション映画となった)

『ドリーマーズ』(ギルバート・アデアによる小説、パリ5月革命の設定。ベルナルド・ベルトルッチにより映画化)

『ベルリン、僕らの革命』([ハンス・ワインガルトナーによる[映画]]、設定は現代のドイツであり、当時運動に参加していた人たちが重要人物として登場する)

『サルバドールの朝』(マヌエル・ウエルガによる映画、スペインの反政府活動を行う実在した人物の半生を描く)


関連イラスト


関連タグ

資本主義 ナショナリズム 社会主義 共産主義 無政府主義

ゲバ棒 内ゲバ 行動する保守 新左翼 ノンポリ

参照項目

wikipedia:同項目および日本の学生運動

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