曖昧さ回避
- Year 2000の短縮形で、2000年のこと。また、当時の世相などの懐古やファッションなどのリバイバルデザインを指す。本項で説明する。
- 2000年問題。年数カウントの不備によりコンピューターが誤作動する可能性があるとされた年問題の一つ。
- MTT・タービン・スーパーバイク - ガスタービンエンジンを動力とするバイク。れっきとした市販車である。
- 北関東発祥の家電量販店、ヤマダ電機・コジマ・ケーズデンキの3社をまとめた呼び方(Yamada・Kojima・K's)。YKKとも。
- ドラマ『VIVANT』に登場したバルカ共和国の架空の民間軍事会社。
概要
Y2KとはYear 2000の短縮形で2000年のこと。ミレニアム(千年紀)とともに当時流行った言葉である。2000年が遠い過去になった現在では、2000年前後のファッション、デザイン、文化を懐古的に指す。
Y2Kのデザイン
Y2Kのデザインの特徴と言えば、鮮やかなイエロー、グリーン、ピンクといったポップな色彩や、鮮明でくっきりとした白黒カラー使い、シルバーのメタリック調、大胆なロゴ遣い、繰り返しパターンなどが挙げられる。
また、1999年~2000年ごろはiMacの影響で家電、ゲーム機などに半透明(トランスルーセント)のデザインが流行していた(スケルトン世代)。
ファッション
女性ファッションはとにかく細身志向で派手。日本ではギャルファッションや茶髪、ガングロの最盛期で、これらはアメリカ黒人文化の影響も強い。つけまつげやアイシャドウなどアイメイクをばっちり決め、シルバーメタリックのアクセサリーやギラギラした素材が好まれていた。この時期に特徴的なアイテムには、肩出しのキャミソール、へそ出しの「ちびT」など短めの丈のトップス、厚底ブーツ、細身のデニムパンツなどがある。
アメリカ合衆国ではビヨンセやクリスティーナ・アギレラ、日本では安室奈美恵などがファッションリーダーであった。
2000年前後の日本の世相
テレビ
制作予算が圧縮され情報番組のワイドショー化が顕著になり、テレビ自体がワイドショー主体と化していった。安上がりなトーク主体の番組も徐々に増殖していった。、クイズとワイプ画面というような現在のバラエティ番組のテンプレ化もこのころに確立した。
バラエティ番組からはエンタの神様や爆笑レッドカーペットなどのネタ番組のブームが巻き起こり、芸人たちの間でもこれらの番組への出演が一種のステータスとなっていった。また、クイズ!ヘキサゴンなどのクイズ番組やはねるのトびらなどのゲーム性のあるコーナーを設けた番組の全盛期であるほか、笑う犬・葉っぱ隊・ブラックビスケッツ・ポケットビスケッツとウッチャンナンチャンの時代である。この他、モーニング娘。などバラエティ番組発のアーティストのブレイクも目立った。
特撮番組では平成ウルトラマンに続きニチアサが人気を集め、イケメンヒーローブームと呼ばれた。
テレビアニメは「90年代風」のアナログ作画からデジタル作画への端境期。全日帯放送枠の減少が進む一方、深夜アニメはまだマイナーだった。そのため地方部ではスタジオジブリ以外の新作アニメを知らないという人が多くいた。
漫画
1990年代後半から出版不況と呼ばれる時代に突入し、雑誌業界全体で部数の減少が目立ちはじめる。
ちょうど2000年代に突入したあたりでマガジン黄金期がピーク→終焉へと向かい、2002年9月には週刊少年ジャンプが黄金期終焉以降漫画雑誌界2位に甘んじていた部数ランキングで1位に返り咲く。
コンピューター・インターネット
パソコンは、PC/AT互換機/Windows(そしてWord・Excel)という「ウィンテル」(MicrosoftとIntelのかばん語)の覇権が確立していた時代である。MicrosoftはNeptuneでNT系へ移行する予定だったが、方向転換して従来の9xベースのWindows Meを世に送り出す。これは多数の欠陥を抱えており、短命な製品となってしまった。1990年前後に「国民機」であった国産PCのPC-9800は、Y2K前後には撤収期に入っていた(受注中止は2003年だが、NECの主力はPC互換機のPC98-NXシリーズに移行していた)。Linuxもとっくに誕生していた(最初のリリースは1991年)が、この時代にはまだ素人の手に負えるものではなく、クライアントのOSとして使っていたのはギークだけだった。
「ウィンテル」以外のパソコンで生き残ったのは実質Macintoshのみとなっていたが、iMacが上記のトランスルーセントブームを巻き
起こすなど、Appleは独特の存在感を放っていた。同社はカリスマ創業者のスティーブ・ジョブズ復帰により一時の混乱と経営危機から脱しており、次期OSのMac OS Xへの移行の道筋もつけていたが、iPad・iTunesが音楽業界に大旋風を巻き起こすのは少し後のことである。
インターネットはダイヤルアップ接続が主流の時代だったので、今日のような動画鑑賞やオンラインゲームはまだ一般的ではなく、個人サイトや電子掲示板、Hotline・ICQ等のメッセンジャーが主なコンテンツであった。
午後11時から翌朝午前8時まで指定したアクセスポイントへの通話料が定額になる「テレホタイム」に合わせて、深夜までチャットや掲示板をダラダラと楽しむのが当時のネットユーザーのスタイルである。アクセスの集中する午後11時台にはページを開くのに数分間待つのもザラだった。2000年に西鉄バスジャック事件が発生し、1999年に開設された2ちゃんねるが一躍注目を浴びた。
当時はアクセス速度が最大56kbpsのダイヤルアップ接続か、常時接続でもフレッツ・ISDN(64kbps、2回線束ねて128kbps)でネットを使っていた人が多かったので、高画質な動画の配信はまだ困難だったが、flashで作られたサイトや動画コンテンツが増え始め、「ブロードバンド元年」と言われた2001年以降のFLASH黄金時代につながっていく。
1999年2月にNTTドコモのiモードがスタートし、携帯電話(ガラケー)に特化したゲームやWebサービスなどが次々とリリースされた。
コンピュータゲーム
コンソールはプレイステーションの最盛期。『ドラゴンクエストⅦ』・『ファイナルファンタジーⅨ』などの大作から、『どこでもいっしょ』などのライトユーザー向けタイトルまでミリオンヒットが続出し、中高大学生から大人までこぞって「プレステ」でゲームを楽しんだ。2000年には次世代のプレイステーション2が登場し、先行していたセガのドリームキャストは苦境に追い込まれる中、『ファンタシースターオンライン』を世に送り出し、同作はコンソール向けのオンラインゲームとして初めて成功を収めた。任天堂は携帯ゲーム機ゲームボーイカラーと据え置きゲーム機ニンテンドウ64が低年齢層の圧倒的支持を受けていたが、2001年にはゲームボーイアドバンスとゲームキューブを発売する。
Y2K前後は日本のPCゲーム業界が最も衰退していた時代で、当時は「パソコンゲーム=アダルトゲームか洋ゲー」のイメージがあった。
政治経済
バブル崩壊の負の遺産(不良債権など)の整理が済む前に、1997年のアジア通貨危機の余波が日本を襲い、日本企業の経営スタイルは極端に保守化・硬直化した。多くの企業や金融機関が財務の改善のみを重視し、設備投資や従業員の採用を絞り込んだ。また生産拠点の海外への移転(産業の空洞化)や業務の外注への置き換え(アウトソーシング)などのリストラを積極的に進めた。これにより大企業には内部留保がひたすらに積み上がり、就職氷河期の悪化や建設不況をもたらした。
この時代は、極端な就職難により難関大学卒業者がコンビニや飲食チェーンで働いていた時代である。若くて優秀な労働力の潤沢な供給は、日本のデジタル化・自動化投資の遅れや、人材派遣業界の肥大化をもたらした。
政治面では政治改革ブームによる政界再編が一段落し、行政改革ブームに突入。民間の緊縮ブームを背景に国民の間で公務員を「税金泥棒」と罵る風潮が高まり、リストラと公共事業削減が進められた。こうして森喜朗政権下での中央省庁再編「1府12省庁」体制の発足と、小泉純一郎政権下の「三位一体の改革」(国庫補助負担金改革、税源移譲及び地方交付税改革)に至る。「三位一体の改革」の実態は補助金の見直しや税源移譲が極めて不十分な中、地方交付税等の一般財源を大幅削減するというものであり、地方自治体の脆弱化と公務員の非正規・ブラック化につながった。