基礎データ
※元々は龍造寺家が藩主だったが、すぐに鍋島家が藩主となった。
概要
今の佐賀県と長崎県の一部に存在した藩。佐賀の名将、鍋島直茂の活躍により設立された藩。前述の通り元々は龍造寺家が藩主だったが色々あったため、鍋島家が藩主となり現在でも鍋島家が正当な藩主とみなされている。
幕末には重なる出費などにより大量の借金、破綻した財政などで壊滅的であったが「肥前の妖怪」、十代藩主鍋島直正による怒涛の藩政改革(詳細は後述)により財政再建、近代化を果たし幕末の雄藩薩長土肥の一角を占めることになった。
幕末、明治維新期の佐賀藩
後にも先にも佐賀が一番輝いていた時期。先に述べた通り当時の佐賀藩には何万貫もの借金(現在のレートで数億円)の借金が存在し、藩財政は破綻していた。そんな中で現れたのが当時17歳の鍋島直正である。彼は前藩主として実権を握っていた父親から実権を奪った後、濁流の如く藩政改革、産業革命を断行。妖怪っぷりを発揮していく。
「妖怪」の行った藩政改革、近代化政策一覧(抜粋)
- 3割の役人をリストラ
- 身分が低い藩士でも有能な者は積極的に採用
- 近代的な給料制度の導入
- 行政組織を一本化して無駄を省く
- 重要な事案は合議制で決め、何度も検討を加えられる制度の設立
- 農民保護政策を打ち出す
- 茶、蝋燭、陶器、石炭などの特産品の開発
- 炭鉱開発
- 藩の運営する学校「弘道館」の拡張、藩士の子弟への義務教育制度などの教育改革
- 当時、感染したらほぼ確で死ぬと言われていた天然痘への種痘(今でいうワクチン接種)の開始
- 「精錬方」という科学技術研究所を作り製鉄技術、大砲、蒸気機関、硝子、電信など西洋技術の研究を進める
- 日本初の製鉄所、反射炉、 蒸気機関車の模型、蒸気船製造、蒸気機関を用いた石炭採掘開始
- アームストロング砲製造(諸説あり)
- 近代的な海軍設立
誤解ないように言うが、全部一人でやりました。もうバグってるだろ。
また佐賀藩の特徴として徹底した情報統制を行い、他の藩とは一線を画したとにかく技術を研鑽するという独自の路線を進んだ。これらの改革により、「薩長土肥」に数えられるようになったのである。
が…。
明治後の佐賀藩
薩長土肥に数えられるようになったものの前述の独自路線、また直正がどちらかといえば戊辰戦争などの動乱でも比較的中立な立場を取ったため明治新政府で佐賀藩出身者は他の三藩と比べあまり重要な地位を得ることができなかった。
明治六年には征韓論を発端とする政変で多くの有力な出身者が下野、明治十四年には唯一残った有力な出身者の大隈重信が議会制度導入をめぐって多数派だった薩摩藩、長州藩と対立し追放された。
これ以降、佐賀が天下を牛耳ることはなかった…。
歴代藩主
藩祖…鍋島直茂(なべしまなおまさ)
初代…勝茂(かつしげ)
二代…光茂(みつしげ)
三代…綱茂(つなしげ)
四代…吉茂(よししげ)
五代…宗茂(むねしげ)
六代…宗教(むねのり)
七代…重茂(しげもち)
八代…治茂(はるしげ)
九代…斉直(なりなお)
十代…直正(なおまさ)
十一代…直大(なおひろ)
出身者
- 鍋島直正(十代藩主、藩政を改革)
- 江藤新平(初代司法卿として近代日本の司法制度を設立。後に佐賀の乱を起こし斬首)
- 大隈重信(二度の内閣総理大臣、外務大臣など要職を歴任。また早稲田大学を開校したりもした。)
- 副島種臣(外務卿として明治初期の外交、下野後は自由民権運動で活躍。優れた書道家でもある。)
- 島義勇(北海道の開拓で活躍、札幌の街の基礎を創る。後に佐賀の乱を起こし斬首。)
- 大木喬任(近代日本の教育制度を設立)
- 佐野常民(日本赤十字社を設立)
- 山口尚芳(岩倉使節団の写真の左から二番目の人)
- 田中久重(「からくり儀衛門」の名で知られる発明家。通称「東洋のエジソン」。後の東芝を設立)
関連タグ
ゾンビランドサガ…言わずと知れた佐賀県を舞台としたアニメ。作中で佐賀城を始めとする多数の佐賀藩ゆかりの施設が登場し、聖地となっている。