副島種臣
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そえじまたねおみ
副島種臣は江戸、明治時代に活躍した武士、政治家。佐賀の七賢人(八賢人)の一人。蒼海という号で書の名人としても知られる。
藩校・弘道館の教諭を務める枝吉種彰の次男。鍋島斉正(直正)・直大の二代に仕えた。枝吉家を継いだ兄の駒一郎(神陽)は弘道館の国学教諭を務め「佐賀の吉田松陰」と称された。また、従兄弟で佐賀の乱で処刑された島団右衛門(義勇)は神陽の門人でもある。
安政6年(1859年)に父・種彰が没し、2年後の文久元年(1861年)8月には兄の神陽もコレラで死去した。
この間に副島家を継ぎ名前を枝吉二郎龍種から副島次郎種臣に改名した。弘道館の教諭となり、大隈八太郎(重信)や佐野永寿左衛門(常民)を教える。しかし、学制改革を行い追放処分を受ける。
その後、大隈とともにフルベッキに学ぶ。脱藩して大政奉還を徳川慶喜に進言しようとするが強制送還され不発に終わる。老公の鍋島閑叟の寛大な処置で謹慎処分で済む。
明治維新後は政府では参与・参議に就任。明治4(1871)年外務省に入り台湾事件、マリア・ルース号事件、千島樺太交換問題等の外交問題に着手した。
明治6年の政変で西郷隆盛や板垣退助らに同調して大隈らと共に下野。のち民選議員設立建白書を提出。松方正義内閣では内務大臣、枢密顧問官を務めた。
日露戦争の旅順要塞攻略後まで生き満76歳で没した。
書の名人としても有名であり佐賀新聞の題字を書いている。
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第三話 副島種臣という人 1
副島シェフの話。◆久々にひぜん!!どうなるかはまだ決まってないです…;;◆お神酒の登☆場!!◆藤沖様>ブクマありがとうございます!!励みになります!!2,149文字pixiv小説作品