征韓論は幕末から明治初期にかけ、一つの重要な課題であった。
幕末、吉田松陰(長州藩士)・橋本左内(福井藩士)・勝海舟(幕臣)らは、欧米列強の侵略に対抗するためには近隣諸国と団結する必要があると考えた。
明治に入ると、朝鮮は排他的鎖国政策をとり、また日本が欧米と組んで侵略を企てていると考えて修好を拒んだ。
そこで明治6年、西郷隆盛・板垣退助・江藤新平・副島種臣らはこれを討つことを主張する。
が、同年、欧洲視察から帰国した岩倉具視・木戸孝允・大久保利通らは内政優先を説いてこれを退けた。
以後、征韓派は参議を辞して下野し、士族の反乱や自由民権運動を展開してゆく。