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タイ王国の編集履歴

2021-05-05 20:42:14 バージョン

タイ王国

たいおうこく

東南アジアにある立憲君主国家である。

概要

・面積

 約51万4,000平方km。

・人口

 約6,900万人。

・首都

 バンコク

・民族

 大多数がタイ民族

 その他に中国系やマレー系。

・言語

 タイ語

・通貨

 バーツ

・宗教

 仏教94%、イスラム教5%。

 国民の信仰の自由は憲法で保障されているが、

 国王は仏教徒でなければならないと定めている。


インドシナ半島中央部とマレー半島北部に位置する。

南はマレーシア、東はカンボジア、北はラオス、西はミャンマーと隣接する。


1939年までは『シャム王国』と呼ばれていた。

2020年現在は立憲君主制で、現在の国王はチャクリー王朝のラーマ10世(ワチラーロンコーン)。


ワットプラケーオトゥクトゥク


略史

現在のタイ王国の国家的起源は、13世紀にカンボジアアンコール王朝から独立したシーインタラテット王が開いたスコータイ王朝である。


その後アユタヤ王朝(14~18世紀)、トンブリー王朝(1767~1782)を経て、1782年以降は現在のチャックリー王朝となる。


19世期後半に東南アジアにおける欧米諸国の帝国主義による植民地時代の絶頂期を迎えると、時の国王の判断により近代化への移行を開始する。

東西に迫る英仏との巧みな外交で独立を維持し、日本と共にアジアにおける植民地化を免れた。


1932年に立憲君主制へ移行。

第二次世界大戦中は日本と同盟を結び連合国に宣戦布告をするが、その裏でアメリカなどとの二枚舌外交を展開。

1945年には、長期に渡って日本に手を焼きソ連の台頭を危惧していた米英に対して、タイ軍が占領した地域の返還などを条件として停戦講和を成立させた。


戦後はアメリカの支援により、共産主義化や周辺国の動乱による直接的な甚大な被害を免れる。

東南アジアではシンガポールと共に早く社会が安定化し、国民の教育水準が高かった事から工業化と都市化が進んだ。

「東南アジア諸国連合」(ASEAN)と「アジア太平洋経済協力会議」(APEC)には結成時から参加している。


その後アジア通貨危機で経済は停滞するものの、すぐに回復して日本中国の企業進出も進んだ。

しかし近年は、民主化や貧困対策などを要求し警察国家的な現政権や現王室を批判する大規模なデモが相次ぎ、軍事クーデターが2回も強行されるほど政情が不安定している。


国旗

タイの国旗は昔は「白象」を描いた物だったが、現在は「赤・白・青」の三色を使った旗になっている。

「赤は国民」「白は仏教」「青は王族」を意味する。


食文化

現在はスプーンフォークが日常的に使われるが、「手で食事を食べる文化」を守っている地域もある。


タイ、特にバンコクなど中部の料理は、基本的に「甘味」「辛味」「酸味」の三つを重視している。

出された料理をすぐ自分好みに調整しても良い文化があるため、飲食店や屋台には様々な調味料が並ぶ。


地理

国土全体的には山岳地帯よりも平地や台地の割合がやや多い。

最高峰は北部の「ドーイ・インタノン」山(2,576m)。


気候は熱帯で、モンスーンの影響を大きく受ける。

地域の地形や土壌などで異なる場合もあるが、基本的には年間を通じて気温と湿度が高く、雨季になると降水量が非常に多く深刻な洪水化にもなりやすい。


経済

先述の通りタイは工業国として製造業GDPの約34%、輸出額の90%弱を占める。

しかし就業者の約40%は農業が占めており、世界的にも知られているを中心にキャッサバ天然ゴムサトウキビなどを生産している。


沿岸部では日本など国外向けのブラックタイガーなどの養殖も盛ん。


関連イラスト

タイ旅行記~メークロン線路上市場&アムパワー水上マーケット編~タイ旅行記~バンコク各エリア紹介編~


関連項目

東南アジア

仏教

ムエタイ 古式ムエタイ

タイ王室 タイ映画 タイの妖怪

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