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ウマ娘プリティーダービーのイナリワンについてはイナリワン(ウマ娘)を参照

概要

日本の元競走馬種牡馬

父:ミルジョージ 母:テイトヤシマ

1986年に地方競馬大井競馬場)でデビューし、1989年にJRAへ移籍。

通算25戦12勝(中央11戦3勝)。1989年年度代表馬、最優秀古牡馬。

小柄ながら鋭い末脚の持ち主で、一歳下のオグリキャップスーパークリークと共に「平成三強」と呼ばれた。

ミルリーフの血。

通算3勝は全てGⅠレースだった。強い馬と戦うほど闘志を見せ、大きな舞台で走るほど底力を発揮する。

あのイナリワンの勇猛さは偉大な祖父ミルリーフから受けたものに違いない。

早死したミルリーフは短期間に多くの名馬を送り出し、イギリスの馬産を大きく復興させたが、産駒の多くは種牡馬として意外に不振だった。

下級レースを2勝しただけのミルジョージはそんなミルリーフが子孫の繁栄を託したかのように日本で大成功した。

小さな身体と強靭な筋力はミルジョージからイナリワンへ密かに伝えられ、ここにミルリーフ血脈健在なりと世界に向けて訴える。 山野浩一

来歴

幼駒時代

1984年5月7日、浦河町北海道)の「ヤシマ牧場」で誕生。福永二三雄調教師(大井競馬場)が目を付け、翌年、福永の薦めで保手浜弘規城南製作所社長)が購入し馬主となる。保手浜は大井競馬場近くの穴守稲荷神社神職に相談し、馬名を「イナリワン」とした。宮浦正行騎手が主戦となる。

地方競馬時代

1986年12月9日、大井競馬場の新馬戦でデビュー、初勝利を挙げる。

1987年シーズンを無敗で終え、デビューから8連勝。

1988年3月3日、金杯(大井競馬場)で3着に敗れ、初の敗戦。その後は勝てないレースが続いた。

12月29日、勝利の暁にはJRAで天皇賞(春)を目指すと宣言の上、東京大賞典(大井競馬場)に出走。1着となる。

JRA時代

1989年1月10日、鈴木清厩舎美浦トレーニングセンター)へ転籍。

2月11日、小島太騎手を鞍上にすばるステークス京都競馬場)でJRA&デビュー。折り合いを欠き4着に敗れる。

3月12日、阪神大賞典阪神競馬場)に出走し5着に敗れる。

4月29日、武豊に乗り替わり天皇賞(春)(京都競馬場)に出走し1着。21年ぶりの地方競馬出身競走馬による天皇賞勝利となった。

6月11日、宝塚記念(阪神競馬場)に出走し1着。

10月8日、柴田政人騎手に乗り替わり毎日王冠東京競馬場)に出走。オグリキャップにハナ差及ばず2着に敗れる。

12月24日、有馬記念中山競馬場)に出走。スーパークリークにハナ差先着し1着。JRA賞年度代表馬に選出される。

1990年4月29日、天皇賞(春)に出走し、スーパークリークに半馬身及ばず2着に敗れる。

6月10日、宝塚記念に出走し、オサイチジョージの4着に敗れる。

9月初旬、右前脚球節の不安が回復せず引退が決まる。

12月23日、引退式が行われた。

種牡馬時代

1991年、「日高軽種馬農業協同組合」で種牡馬となる。ツキフクオーイナリコンコルドシグナスヒーローなどを輩出。

晩年

2004年、種牡馬を引退し、「前川一二三牧場」(新ひだか町)で繋養される事となる。

2006年、イナリワンのファンだった小川礼子が作った「ポニーファーム」(新ひだか町)に繋養場所が変わる。

2007年、19年振りとなる大井競馬場への里帰りイベントが行われた。

2008年、北広島市(北海道)の乗馬施設「ホースフィールドワッツ」で行われた「第5回ワッツワンダフルワールド!」に登場。

2010年、茨城県の「オールドウエスト乗馬倶楽部/ワンダーファーム」(高萩市)で小川礼子の所有馬として繋養される。

2014年12月、功労馬繋養展示事業の助成を受け、「あるぷすペンション」(占冠村)に移動。

2016年2月7日、老衰のため32歳で死亡。

関連タグ

平成三強 大井競馬場 JRA ウマ娘プリティーダービー

ハイセイコー:大井競馬場からJRAに移籍し活躍した『大先輩』。

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