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アドマイヤジャパンの編集履歴

2022-08-08 09:04:19 バージョン

アドマイヤジャパン

あどまいやじゃぱん

2002年生まれの競走馬。主な勝鞍は2005年の京成杯。 三冠馬ディープインパクトのクラシックでのライバルの1頭としても知られる。

経歴

アドマイヤジャパンは、2002年4月16日生まれの元競走馬・元種牡馬

父はサンデーサイレンス。母は1995年の最優秀3歳(現2歳)牝馬ビワハイジで、ブエナビスタは4歳下の半妹にあたる(父スペシャルウィーク)。

なお、アドマイヤジャパンが生まれた直後に早田牧場は倒産した。


アドマイヤの冠名から分かる通り、馬主は近藤利一。調教師は後に妹のブエナビスタも手掛ける松田博資


2歳(2004年)

2004年12月5日の新馬戦で安藤勝己を背にデビュー戦勝利を挙げた。

続いて初の重賞となるGⅢラジオたんぱ杯2歳ステークス(現GⅠホープフルステークス)に出走。

横山典弘に乗り代わったがヴァーミリアンの3着に敗れた。


3歳(2005年)

年明け初戦の京成杯(GⅢ)を1番人気に応えて勝利。なお、2着はのちに皐月賞2着馬となるシックスセンスだった。


そしてクラシックの有力馬として弥生賞(GⅡ)に挑むが、アドマイヤジャパンの前に立ちはだかったのは、稀代の怪物だった。

弥生賞は2着、皐月賞は3着、幸英明が乗った東京優駿は10着、再び横山に戻った神戸新聞杯(GⅡ)は5着、そして、第66回菊花賞では逃げを打つも差されて2着。

この5戦を勝ったのはすべてディープインパクトであり、アドマイヤジャパンは三冠達成引き立て役となってしまった。


その後アドマイヤジャパンはジャパンカップに出走したが、アルカセットの11着に大敗した。


4歳(2006年)

古馬としての初戦は産経大阪杯(当時GⅡ)。

横山に代わって岩田康誠が騎乗。2番人気に推されたが、カンパニーの9着に敗れた。


その後、天皇賞(春)へ向けて調教していたが、屈腱炎を発症したため回避。そのまま9月に引退が発表された。


通算成績は10戦2勝。

ディープインパクトには0勝5敗と全く歯が立たなかった。


引退後

引退後は種牡馬となるも、直仔からは重賞勝利馬は出ず、2018年を以て種牡馬も引退。


2021年の阪神ジュベナイルフィリーズサークルオブライフが勝利し、母の父としてGⅠ勝利を挙げた。


Yogibo宣伝部長?

2019年7月、ヴェルサイユリゾートファームに移り、乗り馬となった。

そんなアドマイヤジャパンが再び脚光を浴びたのは、2022年の5月。

20歳となったアドマイヤジャパンがYogiboのソファ(ビーズクッション)を枕にして横たわる姿を映した動画がバズったことで、「人をダメにするソファを使いこなす馬」として、馬の無防備な寝姿は衝撃を持って全世界に受け止められ(一般的には馬はいかなる場所でも立って寝ると思われている)、競馬を知らない人たちからも注目されることとなった。テレビでも取り上げられ、果てはYogiboの社長がこの動画で疑似CMを作るところまで話が及ぶこととなった。

ちなみになんの因果か、ウマ娘では同じアドマイヤの馬をウマ娘としたアドマイヤベガ(ウマ娘)がふわふわ好きとして人気を博していたのである。

今まで、タイキシャトルの鼻息の匂いを嗅いで悶えたり、猫の後ろを同じ速度でどこまでも追いかけたりといった面白動画を撮られたこともあったアドマイヤジャパン。ディープインパクトはこの世を去ったが、かつてのライバルは彼の分まで逞しく生きるであろう。


後の8月に、YogiboとのCMキャラクター契約が締結された。



関連タグ

競走馬 05世代

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