概要
リントとは、特撮作品『仮面ライダークウガ』に登場する民族、及びその民族の人々そのものを指す名称である。2000年前の超古代の日本に暮らしていた民族で、現代日本人の祖先とされる。
同じく超古代の日本に存在する住人だったグロンギ族からは、ゲゲル(=狩り)の対象として殺戮の魔の手を向けられて敵対関係にある。ちなみにそのグロンギ族からは、リントの末裔である現代日本人も「リント」と呼称され同一視されており、ゲゲルの対象となっている。
グロンギから身を守るべく初めて戦士・クウガを擁立し、彼によって全グロンギが封印された事で滅亡は免れて子孫(=現代日本人)を残しているものの、2000年もの時間の経過の中でその存在は風化していき、『クウガ』本編の時間軸では最早記録すら残っておらず、僅かに残された遺跡が発掘された事で初めてその存在が現代人に認知された。
しかし、現代日本人は悲しいかな、後述するリントの倫理観とは違い、殺人などの悪行を犯す種族に変わってしまっており、クウガにも封印エネルギーを送った対象を爆死させるなどの変化を及ぼした。グロンギの中には彼等の変化を受けて「リントは変わった」あるいは「グロンギと等しくなった」と評する者も現れている。
なお、現代のクウガは古代のクウガと比べて「骨がある」らしいが、これも単純な実力ではなくかつては殺害を嫌って封印という手段をとっていた古代のクウガやリント族とは異なり、現代のクウガである五代と現代人達が明確に自分達を「殺害」するべく戦っている事を評価したコメントである。
一方で『小説 仮面ライダークウガ』では、かつてのリント族は彼等なりの誇りをもった種族であったとして、逆に現代日本人の事を悪い意味で「変わった=かつてのリントより愚かになった」と評価しているグロンギもいる。
文化
城南大学考古学研究室でリント族について研究する沢渡桜子曰く、「争いを好まない」事が特徴の部族であり、グロンギの侵攻に対抗せざるを得ない状況に陥るまで「戦士」という概念や文字自体を持たなかった。
その為に、先代のクウガはリント族初の戦士であると同時に、日本人という民族の歴史上初の戦士でもある。
争いは勿論だが、他者を殺害するという行為そのものを忌避していたらしく、食生活は基本的には農作業だったとの事(後述するリント族の武器に対応した文字の内容から、狩りも一応行ってはいたようである)。
その一方で、霊石アマダムを用いてアークルや馬の鎧ゴウラムを開発し、長野県の九郎ヶ岳に大規模かつ広範囲な遺跡を建造するなど、非常に高い技術力を持っており、ここはある意味現代日本人に通じている。
先述の倫理観故に古代のクウガはグロンギを殺すのではなく、封印する事でその脅威を防いだ。必殺技がヒットした事を表すエネルギーが「封印エネルギー」と呼ばれるのもその為(作中の五代クウガが必殺技でエネルギーを注入するとグロンギが爆死するのは、グロンギを「殺す」という覚悟を決めた五代の意思を受けたアマダムが、封印エネルギーの性質を変化させた為である)。
また信仰としては、クワガタムシを聖なる昆虫と崇拝する文化ないし宗教があった模様。
文字
作中で「リント文字」(「古代リント文字」)と呼称される特徴的な文字体系を持ち、様々な事象を図柄に描いた表意文字と、一文字ずつで一音を表す表音文字の2種に大別される。
現代日本人の祖先らしく文法は日本語と大して変わらないようで、文字を逐語訳していく事でそのまま日本語として通じる文章になるのが特徴。
表音文字のモチーフの一例として炎はそのまま漢字の炎、「水龍」は龍の顔、「天馬」はペガサスの顔、「巨人」は筋骨隆々とした巨人、「甲虫」ならばクワガタムシ、「雷」は迸る稲妻が挙げられる。
マイナーなものであれば「死」は骸骨、「永遠」はウロボロス、「歌」は大きく開けた口がモデルである。
また、清純なものや優しさを水に例える文化があったようで、アルティメットフォームになる兆候を「聖なる泉 枯れ果てし時」はその最たる例である。
他国の伝承に通じる龍や天馬、巨人などの文字も残されているが、これがリント独自の伝承か、なんらかの文化交流によりもたらされたものかは不明(特に巨人は大地を支えると伝承されているようで、どう考えてもギリシャのアトラスを表したものとしか思えない)。
また、時々ゴウラムは言語のような音声を発する事もあり、これはリント語を音読したものであると考察される場合もある(尤も、ゴウラムの言語は英語文法に則った言語体系であるという解読結果が出てはいるのだが)。
リント文字の特徴としては何らかの行為を表す字には漢字の人偏やタレのような人型の文字が配置される部首のようなものを用いている点が特徴的である。大抵は座っている/立っている棒人間の姿で描かれる(以下、酷似した部首で書き表)。
例えば、方向を表す文字の場合は人偏+矢印で表記する。例えば下であれば、矢印は下を向いているのである。
また、棒人間だけで構成される文字も存在する。例えば「汝」であれば相手を指す人、「心優しき」であれば手を繋ぐ人を表している。
つまり、形態としては数ある表音文字の中でも漢字に近いと推測される。
超変身したクウガの持つ“武器”に対応するリント文字に関しては、元々戦いを好まなかった種族である為に、抽象的な表現がかなり多い(ドラゴンロッドを「長きもの」と表現する等)。
一応剣や弓といった武器を表す文字や、「切り裂く」「射貫く」といった行動を表す文字は存在したものの、具体的な戦闘方法や殺害方法を直接的に表現する文字や文章はなく、これがクウガの各フォームでの戦闘方法が最初は分からず、グロンギとの戦いで五代や桜子を悩ませる要因の一つとなってしまった。
ましてや「戦士」を直接的に表現する文字などある筈もなかったので、クウガのシンボルマークでもある「戦士の文字」だけは、リントにとって最大の脅威である存在を表す文字から取って作られた。その為、この「戦士の文字」だけは他のリント文字とは体系が根本的に異なる。
作中での碑文の一例
- 汝 これを見る時 部屋を明るくし 出来る限り離れよ(番組開始時のテロップ)
- 警告 戦士の屍に触れることなかれ 戦士 姿を消す時 死と邪悪の恐怖再び大地に蔓延らん(第1話)
- 戦士の瞼の下 大いなる瞳になりし時 何人もその眠り妨げるなかれ(第19話)
- 戦士の瞼の 下 大いなる瞳が現れても 汝涙する事なかれ(同上)
- 戦士 苦難を思う時 そこに神の御使いあり(第22話)
- 新たなる未来が来ることを祝った、クウガの特別な作品を贈る(新春スペシャル)
- クウガを十分に見直した特別な作品を贈る(特別編)
- この作品は小学館の提供でお送りします(クウガ超ひみつビデオ)
- この碑文だけ小学館のロゴが使われている。
その他の作品での登場
『S.I.C. HERO SAGA MASKED RIDER KUUGA EDITION -オデッセイ-』
古代のリント族の時代を舞台としており、古代の戦士に「リク」、その妹に「ミオ」という名前が与えられた(「空我」に対する「陸」と「澪」からのネーミングか)。
一応は本編のプロデューサーである髙寺成紀が監修を行った外伝作品だが、『HERO SAGA』自体が公式設定に含まれない外典扱いなので、この作品もあくまでパラレルワールドであり、この作品に登場するリント族やリクは、本編のリント族や古代の戦士とは明確に別人なので注意(ただし、便宜的に本編の古代クウガもリクと呼ぶファンもいる)。
具体的な相違点としては、本編のリント族が争いを好まない種族であったのに対し、こちらはクウガ誕生以前から普通に戦士を擁していた民族であり、青銅器の武具などを独自に作成していた。その為にクウガに選ばれた事でリント族初の戦士となった古代の戦士と違って、本作の古代のクウガであるリクはクウガとなる以前からリント族の戦士である。さらには争い事を好まない気弱な性格のリクは、同じリント族の戦士の仲間達からは見下されていたなど、原典のリント族とは明らかに異なる。
また、幼い頃に両親を失ったリクや、それによって失明した妹のミオは厄介者として他の村人達からは迫害されて育ったなど、本作のリント族は非常に閉鎖的で排他的な設定となっている。
それに伴って、クウガであるリクの戦う動機もあくまで妹のミオを守る為だけであり、ミオの方も兄以外の村人の事は誰も信用していないなど、みんなの笑顔の為に戦かった五代や、同族のみならず子孫の為にも自らの身を犠牲にした原典の古代の戦士とは、極めて対照的なキャラクター像になっている。
実は村内部にグロンギが祈祷師として潜り込んでおり、リクが戦士に選ばれたのも彼が一番相応しくなかったからであった。また、彼らの両親の事故も実際はズ・ザイン・ダの仕業である。
このように、グロンギ側の行動も原典のグロンギ達のものとはかなり違うものになっている(そもそもリントを攻撃する動機が、ゲゲルではなく土地を狙った単純な侵略目的に変わっている)。
『仮面ライダーディケイド』
リ・イマジ世界である「クウガの世界」でも現代日本人がこう呼ばれ、おそらくはこちらでもリント族が存在したものと思われる。
なおン・ガミオ・ゼダ曰く、門矢士はグロンギにもリントにも該当しないとの事で、あくまでもクウガ世界の人間ではない事を表しているものだと思われるが、ここから士が本当に人間を辞めているのでは?と勘ぐるファンも少なくない。
漫画版『仮面ライダークウガ』
こちらでもリントは存在するが、クウガはリント族の戦士ではなく、あくまでもグロンギの叛逆者という扱い。
なので、アギトがリント族におけるクウガポジションという扱い。
余談
リント族の子孫とされる現代人の倫理観はどちらかといえばグロンギ寄りであるなど、「リント族は争いを好まなかった」という特徴を疑問視する声も一応あるにはある。ただし、子孫とは言っても2000年も遠い昔の祖先である上に、遺跡が発掘されるまでその存在を認知されていなかった忘れられた民族である為、時代の流れもあって現代日本人の価値観等が根本的に変わっている事自体はむしろ当然の結果である。
公式の見解でも、あくまで「リント族は争いを好まない民族」という解釈で一致している。
ただし、それとは別にアニヲタwikiでは「高い技術力を持つにもかかわらず、クウガに変身し続けるリスクを知りながらグロンギとの戦いをクウガ一人(とゴウラム)に丸投げし、封印の守番まで押し付けた挙げ句その裏でぬくぬくと平穏を貪っていた」(原文ママ)という解釈もされており、それ以前にグロンギを殺害せずに封印という手段でお茶を濁した結果、後世の子孫達にグロンギという重大な脅威をそのまま残してしまったという解釈も当然ながらされている(超全集でも「古代の戦いは中途半端だった」と高寺Pを含むスタッフ陣の間で結論されている)。
皮肉にも、「クウガの力を持たないリント」は「グロンギと等しくなった」事で彼だけに無責任に頼ろうとはせず、そして中途半端はせずに徹底的に戦った結果グロンギという脅威を消し去る事が出来たのだが、果たしてどちらが本当に良かったのかは視聴者に委ねられる。