CV:大川透
概要
『仮面ライダーゲンムズ』で初登場した謎の存在。
突如ネットワーク上に誕生した、「人類のあらゆる善意」をラーニングした超知能。
しかし、その実態は「どんな些細な悪意も許さず、行き過ぎた善意によって世界を滅ぼす」とアークは結論を導き出している。これは奇しくも対局の存在であるはずのアークや滅亡迅雷.netの標榜していた「悪意に満ちた人間は絶滅すべき」とさほど変わらない思想であり、結局の所、悪意も善意も偏り過ぎれば害悪でしか無い証明となっている。
『ゲンムズ』の続編である『仮面ライダーアウトサイダーズ』では、ゼインに対抗するために財団Xのメンバーであるジョゼフ乱堂やエコルが「古の悪の仮面ライダー達が共に力を合わせる大いなる計画」とされているプロジェクト・アウトサイダーズなるものを進めていることが判明。
そのため、世界を超えた様々な仮面ライダーの力を利用し、復活させていることからも、かなりの脅威であることが予想される。
実態
上記の説明はあくまで財団X側からの視点であり、滅によるとその目的は「全ての悪を根絶するためにライダーの世界を一つにする」こと。
この目的に賛同した滅と西馬ニコはゼイン側として行動している模様。
デザストの復活を即座に察知し、緋道蓮への接触を予測するなどその能力は並大抵の人工知能を遥かに超えているが、あまり自発的には動かないようで、ニコによると、「ゼインを動かせるのは飛電インテリジェンスだけ」とのこと。
このことから、ゼインの所在として最も可能性が高いのは通信衛星ウィアであり、ゼイン側の実質的なトップは彼ということになるが、果たして・・・。
また、どんな目的があるにせよ、ライダーの世界を一つにしようとしているのであれば、世界の破壊者と時の王者(特に破壊者のストーカーが関わっている以上前者)が黙っていなさそうだが・・・?
そして、ゼインは仮面ライダーとして実体を現した。
他のライダーから同意の元で生成されたゼインカードを消費し、そのライダーの力を自在に行使できる破格の力を利用している。
『同意の元』であるため、歴代の主役ライダー達が協力していることが示唆されており、さらに下手をすれば大魔王や神々ですら容認している可能性がある。
さらに、ゼインドライバーを使用するには、適合者でなければならないことが判明。
適合者となった男もゼインの行動を肯定していることになるが、真意は不明。
余談
- また、劇中では一瞬だが、仮面ライダーに似た姿を見せており、今後仮面ライダーアークゼロのように仮面ライダーないしは変身態を獲得し、実体化する可能性も示唆されている。
- 続編の『仮面ライダーアウトサイダーズ』でも、仮面ライダーディエンドが浅倉威にゼインの存在を示唆した際にその姿を投影しており、こちらでは全身が映し出されている。
- しかも、その姿はあるライダーに酷似しており・・・
- また、ep.3「バトルファイトの再開とゼインの誕生」では、ザイアサウザンドライバーに似た新たなるドライバーとプログライズキーが登場したが、果たして・・・。
- 名前の由来は悪に長音を挟んでアークなっているように、善の捩りと思われる。「ゼーン」でないのは、語呂が悪く文字的にもおさまりが悪いのと、本編中のギャグシーン(或人が「そっちがアーク=悪意の意思なら、こっちにはゼーン=善意の意思(ゼア/医師)があるからな!」とお得意のギャグで滅に啖呵を切った*)ですでに名前が出ていたためであると思われる。
関連タグ
桃井タロウ:こちらは過剰な親切心が原因で、様々なトラブルを起こしてしまっている。
バッタヤミー:暴走する正義繋がりの怪人。
正義はあっても正解というものは無いのだ:正義であってもそれが正解とは限らない、この言葉を体現している。
ep.4のネタバレ注意!!!
「ここまでご苦労様です。あとは私が裁きを下しましょう」
「ゼイン。この次元の、救世主です」
上記の通り、アウトサイダーズとゼイン側でそのあり方に対する見解が異なっていたゼインだったが、その真の目的は全ての物質をコントロールし、人間の中にある全ての悪意を駆逐することだった。
仮面ライダーの力を利用して人類を滅亡させることを目論んでおり、これにより、アークによって導き出された予測が正しかったことになる。
ニコや滅といった面々は橘と桜井からこの点を秘匿された状態で協力させられており、力を貸すことに同意した主人公ライダーたちも同様であった可能性が高い。
自らを「救世主」と呼んではばからない高慢な性格で、ブレンの説得を受けて自らの目的に疑問を感じ迷いを抱いた桜井を一方的に乗っ取るなど、その冷徹さはアークと変わらない。
ゼインをただ「悪を討つ正義の存在」であると信じて力を貸したライダー達はともかく、人類を守ることに熱心だった橘や桜井、そして飛電インテリジェンスがこのような危険な存在に対して協力的であったことは皮肉以外の何物でもない。