概要
呼称
第二次ソ芬戦争(1941.6.25-1944.9.19)のこと。後述する冬戦争から継続した戦争であるのため、継続戦争と呼称される。
背景
1939年、ソ連がフィンランドへと侵攻。冬戦争が始まった。スウェーデン等の諸外国による支援を受け、フィンランドはソ連に対して勇敢に抵抗。結果、マンネルヘイム率いるフィンランド軍は四倍ものソ連軍に対して大打撃を与えることに成功した。しかし、その後にソ芬間で締結されたモスクワ講和条約はフィンランド不利な内容であり、第二の大都市・ヴィープリやカレリア地峡等をソ連に割譲させられた。
その後、フィンランドは安全保障及び失地奪還のためにスウェーデンとの軍事同盟締結を望んだが、ドイツとソ連に反対されて実現しなかった。しかしフィンランドは諦めず、1940年8月にドイツと密約を結び、フィンランド国内へのドイツ軍の駐留を認めることでソ連を牽制した。
開戦
1941年
1941年6月22日、ナチスドイツによるバルバロッサ作戦の発動によって独ソ戦が始まる。
当初フィンランドは中立を宣言していたが、国内に駐屯していたドイツ空軍によるソ連爆撃に対する報復として、ソ連空軍がフィンランドを爆撃した。
これにより、6月25日にフィンランドはナチスとは無関係とし、領土奪還を目指してソ連に対して宣戦布告した。これが継続戦争のはじまりである。
連合国はこれを不当として、イギリスが(形式的に)フィンランドに宣戦布告した。
7月、マンネルヘイム率いるフィンランド軍は冬戦争で失ったカレリア地峡に進撃。8月末には激戦の末にかつての国境を取り返した。装備は瓶弱であったが、以前の苦戦とは裏腹に、経過は好調であった。
そして9月、フィンランド軍はドイツ軍と共にレニングラードを封鎖したものの、決して多くはない戦力の消耗を恐れて戦闘には参加しなかった。
1942年
1月、前年から続いたドイツ軍によるモスクワ攻略作戦・タイフーン作戦が失敗。しかしドイツ軍は反撃を開始。ブラウ作戦を発動し、南方のコーカサス方面へと侵攻した。
これにより、ドイツ軍はレニングラード等の北方では作戦をほとんど展開せず、フィンランド軍もソ連軍と塹壕戦をするに留まった。
1943年
前年より続いたスターリングラード攻防戦はドイツ第6軍の降伏で幕を閉じる。B軍集団は壊滅し、またA軍集団も敗走したことによって、戦況は一気にソ連優位に傾いた。
これ以降フィンランドは講和の道を模索し始めるが、フィンランドへの支援を行っていたドイツはソ連との単独講和を許さず、フィンランドに対して禁輸措置を行う。これによりフィンランドはたちまち物資不足におちいってしまった。
ドイツからの禁輸を解いてもらいつつ、戦争から脱却するためにフィンランド大統領・リスト・リュティは対ソ戦継続をすると発表し、ドイツはフィンランドに対する禁輸を解除した。
1944年
1月、ソ連軍がレニングラードにおける戦闘に勝利。これによりフィンランドの軍事的な価値も薄れることになった。レニングラードを脅かす価値が失われたのだ。
これを受け、フィンランド政府も再び講和に踏み切ろうとする。だが今度はソ連が「講和の条件は領内のドイツ軍を独力で追い出すこと」という条件を提示。これもまた受け入れがたいものであった。
なぜなら、先に連合国と単独講和したイタリアは北部にドイツの傀儡政権を設立され、ハンガリーに至ってはドイツ軍の全土占領を受けて傀儡政権を立てられてしまい、講話したにもかかわらず戦争継続を強いられていたのである。また曲がりなりにもフィンランド軍とドイツ軍は友軍同士であり、「昨日の戦友」に銃を向けるという行為は躊躇されるものであった。
条件を呑めないフィンランドは交渉を打ち切り、ドイツ軍と共にソ連軍の反撃を迎え撃つ。だが一旦は「大粛清」によって地に落ちたソ連軍の練度も、ドイツ軍との戦闘で鍛え抜かれ、今や精強な軍隊に生まれ変わっていた。ソ連軍の大攻勢はクーテルセルカにおけるフィンランド軍の反撃を一蹴し、VT線を突破。フィンランド軍の戦線の崩壊は時間の問題となっていった。
1944年6月9日、アメリカ軍やイギリス軍などによるノルマンディー上陸作戦が発動し、ドイツ軍は敗北。ドイツは西部戦線においても不利になった。
同6月22日、これに呼応してソ連軍もドイツ方面で一大攻勢を敢行する。バグラチオン作戦と呼ばれる人類史上最大規模の攻勢によりドイツ中央軍集団は壊滅し、以降ドイツ軍は絶望的な後退戦を続けていく。フィンランドもソ連軍の大規模攻撃を予測し、カレリア地峡の軍はVKT線まで大幅に戦線を後退する。
しかしソ連軍と戦うにはドイツの支援が絶対に必要であった。そのため当時のリュティ政権は「ドイツと共に最後まで戦う」と宣言しドイツと協定を結ぶ。それによってフィンランドにはドイツからの援軍や支援物資が続々と到着し始めた。
6月25日、フィンランド軍が防備を固めるVKT線(ヴィープリ〜クパルサーリ〜タイペレを結ぶ線)を突破するべく、ソ連軍レニングラード方面軍がタリ=イハンタラ方面に集結。ソ連軍は猛砲撃ののちタリ近郊より攻撃を始め、ソ連第27戦車連隊がポルティンホイッカ交差点への浸透突破に成功する。後続のソ連軍師団も防衛線を突破し、包囲の危機にさらされたフィンランド軍は残存兵力を投入して反撃。この戦いでフィンランド軍は唯一の機甲師団を投入、第27戦車連隊を同師団が撃破したことによりポルティンホイッカ交差点の奪還に成功し、南方から迫っていたソ連軍を攻勢開始地点にまで押し返した(タリ=イハンタラの戦い)。
27日、フィンランド軍は先の防衛戦を突破したソ連軍4個師団にモッティ戦術(包囲戦術)を仕掛けるが、圧倒的な集中火力を前に失敗に終わる。翌28日から30日にかけて、フィンランド軍はソ猛追撃を受けながらタリより撤退。事実上最後の抵抗を試みるべく、更に後方のイハンタラ近郊に戦力を集結する。
7月3日、前日の無線傍受でソ連軍の総攻撃を察知していたフィンランド軍は、総攻撃開始直前に砲兵と爆撃機による先制攻撃を敢行。フィンランド軍の所有する火砲の50%以上を投入した熾烈な砲爆撃によりソ連軍の前衛は壊滅、機先を制されたソ連軍はイハンタラ総攻撃に失敗する。その後カレリア地峡で行われた突破作戦も全て失敗に終わり、ソ連軍の進撃はようやく停止したのだった。
この機を逃さずフィンランドはソ連に講話を申し出る。それまで強固な姿勢でいたソ連もドイツとの戦いに集中したい事から「フィンランド相手に手間取っている訳にはいかない」と考えを変えつつあり「フィンランドが降伏するのなら講和を受け入れよう」と態度を軟化させつつあった。
しかし講和にあたって問題になったのはフィンランド政府とドイツとの確約である。
苦悶の末、リスト・リュティ大統領は辞任し、マンネルヘイムにその座を譲った。ドイツとの確約は「前大統領・リュティの個人的なもの」として破棄することにしたのだ。
休戦
1944年9月19日、フィンランドモスクワ休戦条約に調印。これにより継続戦争は終結した。
結局、国境線は「冬戦争」終結当時で確定し、その他にも多くの不利を被らなければならなかった。
その後、国内に残るドイツ軍を追放するためのラップランド戦争が起こった。ドイツ軍はラップランドに焦土作戦を実行したが、1945年にフィンランド軍はドイツ軍をノルウェーへと追放することに成功。
こうして、この英断によりフィンランドは末期の枢軸国から離脱するという奇跡を成し遂げたのである。
戦後
戦後はソ連による強い影響下に置かれながらも独立性を維持していた。軍備の多くを占めたのはソ連軍の装備だったが、時にはMiG-21とドラケンが同居するという光景も見られた(きっと「また敵の装備を分捕って使うためさ!」と言う事だろう)。
一方、マンネルヘイム元帥にその座を譲ったリュティ大統領は戦後、ナチスに加担したとされて禁固10年の判決を受ける。
これは講和条約に含まれている「戦争犯罪人の処罰」という項目に従ったもので、1949年には健康上の問題から釈放されている。以降は政界復帰を果たすことなく、1956年に死去したが、葬儀はソ連による反対にもかかわらず国葬にて執り行われたという。
両国の戦死・行方不明者数
フィンランド | ソビエト | |
冬戦争 | 26662人 | 126875人 |
継続戦争 | 58715人 | 約200000人 |
二つの戦争を経た挙句、結局は動かなかった国境のためにこれだけの命が失われたのである。
フィンランド約8万5千人、ソビエトでは約32万6875人。合計では40万人以上である。
負傷者も含めれば、この数は14万人と116万人にまで膨れ上がる。まさに「おびただしい数である」としか言いようがない。
同じく太平洋戦争での日本の戦死者は174万人と言われている。
この数に比べれば、フィンランドの払った犠牲は小さいと言う事も出来るかもしれない。確かに世界地図で見れば、戦場となったカレリア地方は小さい。
だがこの小さな土地のため、これだけ多くの人間が命を捧げたのだ。そこにはそれだけの意味があり、それだけの価値があった。
事実、ソ連は戦後のフィンランドを共産化を断念し、ソ連軍が駐留することもなかった。つまり、強圧的な政策は控えたのだった。これには地理的な事情もあり、ソ連にとってフィンランドの重要度が高くなかった事にも起因する。また、冷戦の開始と共にソ連はは多方面に敵を抱えたため、フィンランドにおける反ソ意識を和げたかったという狙いもあった。
こうして、戦後フィンランドは長い間中立を保ち続けた。
しかし、2022年に(ソ連を事実上継承した)ロシア連邦がウクライナへと侵攻。これを見たフィンランドは、安全保障を確保するためにそれまでの中立政策を中止してNATOへと加盟することでロシアに対抗している。